2017年4月30日日曜日

2017年04月30日 第5主日礼拝 天にあるものをおもって

招詞
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。
                          コロサイ人への手紙 3章23~24節

聖書箇所
コロサイ人への手紙 3章1~4節

説教
天にあるものをおもって 齋藤満師
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言(こと)ローグ107/信ずる者と信じない者(ピストスとアピストス)
  「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」        ヨハネ20章27節

イエスの復活の日に言われた次の3つのことは、つながりがあります。
1.復活されたイエスがマグダラのマリヤに言われたこと。
2.その後に、イエスが弟子たちのところに入ってこられて「聖霊を受けよ」と言われたこと。
3.そして弟子のトマスのところに来られて「見ないで信じる者は幸いである」と言われたこと。
特に、3つめのトマスに対する取り扱いは重要です。なぜなら、その後の時代のキリスト者は見ないで信じる者となるからです。トマスも他の弟子たちも、マグダラのマリヤも、そしてペテロもヨハネも、みな「見て、信じた」のです。「見て、喜んだ」のです。「見ないで信じる者は幸いである」とは、やがてイエスが昇天されて人々の目には見えなくなくことを前提として語っておられるのです。
ヨハネの福音書が書かれた時代には、すでにキリスト者に対する迫害が始まっていました。異端との戦いもはじまっていました。そうした戦いをくぐり抜けるためには、御子イエスとの愛のかかわりをしっかりと築き、目に見えずとも、御座におられるイエスの御名の力に支えられて、この世にあって神に従う決意が求められていたのです。私たちが、ただお一人の創造主を信じる信仰を表すとき、信じないこの世の人々との摩擦が起きます。そんな時にも、イエスさまの御名の力に支えられて、この日本で神に従う決意はできているでしょうか?
               (銘形 「復活後のイエスの顕現の意味するところ」より引用)

2017年4月23日日曜日

2017年04月23日 第4主日礼拝 信じるなら、神の栄光を見る

招詞
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
                           コリント人への手紙第2 3章18節

聖書箇所
ヨハネの福音書11章39~40節

説教
信じるなら、神の栄光を見る 玉井邦美牧師
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言(こと)ローグ106/「神の力」の同義語と類義語
 神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。        エペソ人への手紙1章19節
 
信仰は神の力を知る通路だといえます。電気は、発電所で得た電気のエネルギーが電線という通路をつたわって、工場、事務所、家庭で熱であったり、光であったり、動力となったりして働きます。
 神の全能の力も、私たちの信仰という通路を通って、ひとつの力となります。それはある行動を促したり、思いや想像を越えた出来事(奇蹟)を引き起こしたりします。困難な問題が解決したり、病が癒されたり、私たちの心にある心配や不安に変えて平安をもたらします。これは信仰によって、神の全能の力が働いたからです。パウロが、エペソ教会につながる一人一人がより多く、豊かに、神の全能の力の働きを知ることができるように、祈っているように、神さまは、今日のすべての聖徒たち(つまり、私たち)にも神の力を経験してほしいと願っておられます。



2017年4月16日日曜日

2017年04月16日 イースター・召天者記念礼拝 イエスの復活を信じて

招詞
あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。        マタイ28章5~6節

聖書箇所
ルカの福音書  24章1~12節、44~53節

説教
イエスの復活を信じて 田口勇新牧師
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2017年4月9日日曜日

2017年04月09日 第2主日礼拝 受難③ イエスの死と勝利

招詞
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。                             へブル人への手紙12章2節                        
聖書箇所
ルカの福音書 23章24~49節

説教
受難③ イエスの死と勝利 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ105/きょう(ハツヨーム)
あなたは、きょうわたしとともにパラダイスにいます。      ルカの福音書 23章43節

イエスさまの十字架上の7つのことばのうち、2番目に語られたことばで、隣の十字架にかけられている強盗の一人がこの慰めのことばを聞きました。「パラダイス」とはラザロと金持ちの話(ルカ16:19~31)にある「アブラハムのふところ」です。そこは、自分の罪を悔い改めて、イエスを信じて義とされた者たちが行くところです。
 「きょう」という言葉は、私たちが考えている「昨日、今日、明日」という意味での「今日」ではありません。ヘブル語では「ハッヨーム」で「その日」とも訳せます。つまり、神によって「定められた日」、神によって「しるしづけられた日」を意味します。「私たちが。目覚めていても、眠っていても、主とともに生きる」(テサロニケ第一5:9)ところが、パラダイスです。ですから、神の定められた「その日=きょう」という日に現存するのです。そこに私たちの希望があります。パラダイスの希望をもって進みましょう。イエスさまは招いていてくださいます。家族や友人がこのパラダイスにいっしょに入れるように祈りましょう。
                          (銘形 「十字架のイエス」から引用)


2017年4月2日日曜日

2017年04月02日 第1主日礼拝 受難② 十字架のみち

招詞
神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。
                            コロサイ人の手紙1章13~14節

聖書箇所
ルカの福音書 22章 39~54a、 63~71節
       23章 1~23節
説教
受難② 十字架のみち 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ104/ヘーフェツ(愛)
 
ソロモンは、シェバの女王が求めた物は何でもその望みのままに与た。
                                 第1列王記10章13節

ヘーフェツが、人の親切や寛容に使われるときは、上記のように、望みのままにとなります。
 ヘーフェツの愛は、人が神になにかを願って求めることに対して、神が喜んで良いものを「惜しみなく与えようとする愛」です。そもそも天の父はその子どもたちに良いものを惜しみなく与えることを何よりも喜びとされる神です。
 人が自分の欲望や私利私欲のために求めるものに対してではなく、神のみこころにかなって願い、求められることに対しては、神は黙っておられない方なのです。与えることを何よりも喜びとされる神、この神の惜しみなく与えようとする愛こそ「ヘーフェツの愛」なのです。旧約聖書では、4つの愛する、という言葉があります。アハヴァー(一方的な選びの愛)、ヘセド(契約愛)、ヘーン(受けるに値しない者に対する神の好意・愛)、そして、ヘーフェツです。図は、ギリシャ語の愛(アガペー、フィリア、カリス)との関係を表しています。
 目を上げて、求めること、要求することを待っておられる神さまに願いましょう、惜しみなく与えてくださる神さまに。
                         (銘形 ヘブル語のキーワードより引用)