2017年9月17日日曜日

2017年09月17日 第3主日礼拝 信じて帰途につく

招詞
主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。
              主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。      
                                   詩篇27篇1節

聖書箇所
ヨハネの福音書4章46〜54節

説教
信じて帰途につく 高橋和義牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ205/忠実な者(ピストス)
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。                          エペソ人への手紙1章1~2節

エペソへの手紙は、エペソ教会員全てにあてられた手紙ですから、「忠実な者たち」と複数形です。ここでは、キリストにある忠実な者は、「キリストのしもべ」と同義で使われています。2つの言葉を重ねることによって、「しもべ」を意味する「ドーロス」の特質は主人に対してどこまでも忠実であることが要求されますが、あなたがたはまさに主に忠実な信徒だと言われています。 
使徒パウロは、自己紹介するときには、決まって、自分のことを「キリスト・イエスのしもべであるパウロ」と表現しています。つまり、パウロは、常に、キリストの忠実なしもべとしての自己認識を持って生きていました。「キリスト・イエスの使徒パウロ」(エペソ1:1)という場合には、イエスの十字架と復活に立ち会っていなかったために、本来自分は使徒と呼ばれるには相応しくない者でありながら、神の恵みによって使徒とされたという認識がこめられていますが、「キリスト・イエスのしもべ」という場合には、その神の恵みに自分がふさわしく応えたい、ふさわしく歩みたいという意欲が込められた表現と言えます。私たちもまた、パウロと同じく十字架の場に立ち会っていませんし、復活のイエスさまを直接見た者でもありませんが、使徒たちの証言によって、イエスの十字架と復活を知っています。知っているだけでなく、罪赦された者として、復活の希望を持つ者として日々歩んでいます。それを喜びとしましょう。
                        (銘形 「エペソ書の重要語彙」より引用)