2023年2月25日土曜日

2023年02月26日 第4主日礼拝 アルネ人を照らす光

招詞
 ハレルヤ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。私は生きているかぎり、主をほめたたえる。いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌う。              詩篇146篇1~2節
 
聖書箇所
ルカ福音書2章25節~32節

説教
アルネ人を照らす光 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/480 われわれの似姿に
 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上をはうすべてのものを支配するようにしょうよう。」 神は人をご自身のかたちとして創造し、男と女とに彼らを創造された。
                                 創世記1章26~27節

 「神」と訳されたヘブル語の「エロヒーム」は、複数形ですが、単数動詞(バラー:彼は造った)で受けています。神は三位一体の神です。父と子(イエス)と聖霊なる神は、各自(位格と呼びます)が独立していても一つです。それは、父は御子イエスのため、御子は父のため、聖霊は父と子のために自分を捨てて仕え合うので、三つの位格(独立した存在)でも、「一つ(思い・目的・考え・行動)」です。ですから、誤解を避けるために、聖書では、神は「一人」でなく「唯一」と表現します(1テモテ1:17他)。
人間同士は、相手を仕えさせようとする罪に支配されやすいので、自分力では一つになれません。そこには、憎しみ、怒り、争いが絶えません。世界の争い(戦争)の原因がまさにこれです。しかし、神の愛で人が互いに仕えあうときには、そこに「いのち、喜び、感謝」を見ることができます。
人の救いは、御子イエスを信じて、父と御子と聖霊の交わりに入ることです。神の家族になるのです。その時、自分も神の似姿に造られた存在であることを実感できます。あなたも私も、とっても大切な神の家族の一人です。

2023年2月19日日曜日

2023年02月19日 第3主日礼拝 教会のチャレンジ ③

招詞
 主よ。あなたの造られたすべてのものは、あなたに感謝し、あなたにある敬虔な者たちは、あなたをほめたたえます。主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに、主は近くあられます。                        詩篇145篇10、18節
 
聖書箇所
使徒の働き6章1節~10節

説教
教会のチャレンジ ③ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/479 イエスのパターンに
 
議会の面々はガマリエルの勧告に従い、 使徒たちを呼び出してから、むちでたたき、これ以上イエスについて語らぬよう厳しく命じた上、釈放した。 使徒たちは議会から出て行ったが、イエスのために辱めを受ける者とされたことをむしろ喜んだ。それから毎日、神殿でも家でもどこででも教えたり、イエスがキリストであることを宣べ伝えてやまなかった。
                         使徒の働き 5章39~42節 (現代訳)

  ペテロやヨハネたちが大胆になれたこと、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜ぶことができたのは、イエスと同じパターンを経験したことにあると考えられます。イエスも使徒たちも同じく、人間のねたみによって捕えられました。そして、人間の手では開けることの出来ない場所(イエスの場合は墓、使徒たちの場合は留置場)にそれぞれ入れられました。そして、イエスの場合は御父によって復活し、使徒たちは天使によって救出されました。
今日においても、「主の御名のために値する者」となるためには、このパターンを経験させられるかもしれません。主イエスがそうであられたように、この世に歓迎され、正しく受け入れられることはほとんどないからです。主も使徒たちもそうであったように、いのちのことばを握っている者は迫害を避けては通れないことを自覚しなければなりません。それでも彼らは「宣べ伝えてやまなかった」のです。キリストの福音はそのような人々によって現代に伝えられ、私たちもいのちのことばを握っている者となっています。        (銘形:「使徒の働き5章」より一部引用)

2023年2月11日土曜日

2023年02月12日 第2主日礼拝 教会のチャレンジ ②

招詞
 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。 主はすべてのものにいつくしみ深く、 そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。 詩篇145篇8~9節
 
聖書箇所
使徒の働き4章32節~5章16節

説教
教会のチャレンジ ② 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/478 イエスの二つの名(オノマ)

 「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい」                     使徒の働き3章6節

 ペテロがここで初めて使ったことばに注目しましょう。それは、「ナザレのイエス・キリストの名」という表現です。この名前には二つの名前が結合されています。一つは「ナザレのイエス」です。もう一つは「イエス・キリストの名」です。「ナザレのイエス」は「ナザレ人イエス」と同義です。これは地上で実際に生きたイエスの存在を意味します。しかし、「イエス・キリストの御名」は、十字架と復活の後に昇天して神の右の座に着座されてから与えられた名前です。使徒パウロはこの「イエスの御名」を「すべての名にまさる名」という表現をしています(ピリピ 2:9)。
「ナザレのイエス・キリストの名」の力とはそのような力なのです。使徒たちは、このイエス・キリストのみ名の力を帯びて毎日を生き、そして新生したクリスチャンを教え導きました。私たちはいつでもこの「イエスの御名」によって生きること、「イエスの御名」の力の通り良き管となってその名をあかしすることが求められています。     (銘形:「使徒の働き」より一部引用)

2023年2月5日日曜日

2023年02月05日 第1主日礼拝 教会のチャレンジ ①

招詞
 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。 その偉大さは、測り知ることもできません。 代よは代よへと、あなたのみわざをほめ歌い、 あなたの大能たいのうのわざを告げ知らせます。
                                  詩篇145篇3~4節
 
聖書箇所
使徒の働き4章1節~33節

説教
教会のチャレンジ ① 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/477 イエスの御名の力 (デュナミス)②
 
(当局者は)使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。                使徒の働き5章40~41節

 かつてイエスは弟子たちに、「義のために迫害される者は幸いです。天の御国はその人のものです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」(マタイ5:10~12)と言われました。使徒たちは、今や、イエスの言われた事が本当であることを感じ始めていました。
イエスの御名の力を体験している使徒たちはまた、「いのちのことば」を握っている者です。彼らは、迫害を避けては通れないことを自覚していました。それが「主の証人」となることです。「証人」とはギリシャ語で「マルトゥス」ですが、それは「殉教者」という意味でもあります。聖霊に満たされていなければ、「主の証人」=「殉教者」となることを喜びとすることは到底できません。キリストの福音はそのような人々によって伝えられ、今日に至っているのです。
                          (銘形:「使徒の働き」より一部引用)