2020年3月29日日曜日

2020年03月29日 第5主日礼拝 ゲッセマネの祈り

招詞
誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈っていなさい。霊は燃えていても、肉は弱いのです。
                               マタイの福音書26章41節

聖書箇所
マルコの福音書14章32~42節

説教
ゲッセマネの祈り 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/329 教会はイエスの家族①

 女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。ご覧なさい。あなたの母です。
                           ヨハネの福音書19章26、27(部分)節

 イエスが十字架の苦しみの中で語られた言葉です。ご自分の母の将来のことを心配して、愛弟子ヨハネに母マリヤを託していることばです。そしてヨハネにも「そこに、あなたの母がいます。」と語っていますが、それ以上の意味もあります。
 ヨハネが、イエスを通してイエスの母を自分の母とすることは、イエスと兄弟になったことを意味します。へブル人への手紙2章11節に「主(イエス)は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで・・」と詩篇22篇22節のみことばを引用しています。「主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」ということ、つまり新しい神の家族を示唆することばです。イエスこそ兄弟の長子となられたのです。私たちは、イエスの弟子ではなく、弟であり妹です。この関係の変化に目を留めましょう。                       (銘形「十字架のイエス」から一部引用)

2020年3月21日土曜日

2020年03月22日 第4主日礼拝 洗足ー弟子たちの足を洗うイエス

招詞
人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。しかし、【主】の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れるものの上にある。                         詩篇103篇15~17節

聖書箇所
ヨハネの福音書13章1~17節

説教
洗足ー弟子たちの足を洗うイエス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/328 謙遜 (タペイノフロスネー)

 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。             コロサイ人への手紙3章12節

 新約聖書では、謙遜(タペイノフロスネー)という言葉は、動詞、形容詞、名詞を合わせると21回も使われている重要語です。
しかし、意外なことに、アリストテレスなどの古代ギリシャ時代も、イエスの時代のコイネーギリシャ語でもこの言葉、タペイノフロスネーは、否定的なことばでした。
 土地に対して使われる時は、低地でじめじめした日あたりの悪い価値の低い地所をさしました。人に対して使われるときはもっとひどく、あの人はタペイノフロスネーだというと、信頼できない、能力に欠ける人、パッとしない人、という使われ方をしていました。

  しかし、聖書では動詞形、名詞計など計21回、すべてプラスの使い方です。これがクリスチャンが結んでいく徳性、聖霊の実だと言っています。
このことが原因でしょう、仏、スペイン語、英語(humility)などラテン語諸言語のどれも謙遜はポジテブな良い言葉です。つまり、聖書がこの言葉の価値を上げたと言えます。

 アフリカで生まれ育ち、牧師、宣教師、講演者として名高いアンドリュー・マーレー(1828-1917)は著書「謙遜」の中で、「謙遜を欠いているのに、熱心で活動的なクリスチャンがなんとおおいことでしょう」と警告を発しています(邦訳42頁)。イエスさまの心に届く愛は、謙遜な歩みをしているクリスチャンに見られるとも語っています。

2020年3月15日日曜日

2020年03月15日 第3主日礼拝 神による逆転劇②

招詞
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。           テモテへの手紙第二 4章2節

聖書箇所
エステル記8章1~18節

説教
神による逆転劇② 田口勇新牧師
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            ※再生中7分過ぎより50秒ほど無音となります。ご了承ください。

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言(こと)ローグ/327 イエスの洗足

 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。        ヨハネの福音書13章14~15節

4月12日は復活日(イースター)で、召天者記念礼拝を予定しています。上掲のイエスの洗足はヨハネの福音書だけに記された有名なエピソードです。

下記は、イエスの最後の一週間を時系列で表にしたもので、次週のイエスの洗足(ヨハネ13章)の前までです。

1.エルサレム入場 マタイ21:1~11 マルコ11:1~11 ルカ19:28~44
          ヨハネ12:12~19

2. 宮きよめといちじくの木へののろい マタイ21:12~22 マルコ11:12~26
                   ルカ19:45~48

3. 神殿での論争  マタイ21:23~23:39 マルコ11:27 ~ 12:44
          ルカ20:1~20:47

4. オリーブ山で  マタイ24:1~25:46 マルコ13:1~37 ルカ21:5~36

この一週間、時間をとって読んでみたらいかがでしょうか?

2020年3月1日日曜日

2020年03月01日 第1主日礼拝 神による逆転劇

招詞
幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえに歩む人々。 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。まことに、彼らは不正を行わず、主の道を歩みます。
                                  詩篇119篇1~3節

聖書箇所
エステル記7章1~10節

説教
神による逆転劇 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/326 イエスの「最後の一週間(受難)」

 シオンの娘よ、大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子のろばに。                              ゼカリヤ書9章9節

 今年の復活節(イースター)は、4月12日で、6週間後に迫りました。イエスさまの十字架の直前の一週間の初めの出来ごとが、エルサレム入城で、マタイの福音書21章1~11節の記事ですが、これは、旧約聖書ゼカリヤ書の預言の成就です。 
 この箇所を、私たちは子ろばのような小さな者にすぎないけれども、主はそのような者さえも尊く用いてくださるというメッセージとして受け取ってしまう人がいます。確かに主は弱い者や取るに足らない者を用いてくださいますが、この時点において、イエスが子ロバを必要としたのは、第一義的には自分がメシアであることの「しるし」としてはっきりと示すためだったのです。 
 マタイの福音書21章以下を読むと、イエスの最後の一週間に、神の救いのドラマの全体像が見事に凝縮されています。月-火曜はエルサレム神殿での説教、水曜がオリーブ山の説教、木曜が最後の晩餐、逮捕、金曜日が裁判と十字架刑、埋葬。そして日曜日に復活です。時間をとって、マタイの福音書21章~28章までを再読してみることをお勧めします。
                      (銘形「イエスの最後の一週間」より一部引用)                                    

2020年02月23日 第4主日礼拝 モルデカイに神の時

招詞
 家を建てる者たちが捨てた石。それが要の石になった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。これは、主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。
                                詩篇118篇22~24節

聖書箇所
エステル記6章1~14節

説教
モルデカイに神の時 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/325 神のドラマの舞台裏

 ヨブは主に答えた。あなたには、すべてができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。                         ヨブ記42章2節

 旧約聖書のヨブ記にあるヨブの苦難には、1章にそのドラマの裏舞台が記されています。しかし、ヨブは知りません。人間にはその裏の舞台が見えないために、ヨブに起こった悲惨な出来事について、ヨブの友人たちがその原因を探ろうとして、ああでもない、こうでもないと論じます。ヨブも彼に対して自分の弁を宣べますが、最後で、神はヨブには知らないことが多くあることを示されます。ヨブはドラマの舞台裏を知らなことを認めたとき、はじめてその苦難から救い出されます。
 このように、私たち人間には、また個人にとっても、知らされていない神のドラマの裏側があることを認める必要があります。表面的に神が登場していなくても、それも神のドラマの一面なのです。エステル記6~7章の中に、まさに神の奇しきみわざ(The wonder of His hands)を見ることができます。                    (銘形「エステル記の瞑想」より引用)