2020年6月27日土曜日

2020年06月28日 第4主日礼拝 神の栄光が去る

招詞
 幸いなことよ、主を恐れその仰せを大いに喜ぶ人は。その子孫は地の上で勇士となり、直ぐな人たちの世代は祝福される。                      詩篇112篇1~2節

聖書箇所
エステル記10章1節~22節

説教
神の栄光が去る 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/342  「礼拝の民」として生きる 

 ダビデはヘブロンで、主の御前に彼らと契約を結び、彼らはサムエルによる主のことばのとおりに、ダビデに油を注いでイスラエルの王とした。 第一歴代誌11章3節歴代誌第一の1~9章には「系図」が記されています。アダムからはじまって10章の最後の節で、初めて「ダビデ」が登場し、以降、各章の冒頭に「ダビデ」という名前が出ています。つまり、ダビデに焦点を当てることを通して、「ダビデのように」礼拝の民として生きようという意図をもって、歴史が見直されているということです。
ダビデは、戦士であり、詩人であり、音楽家であり、一家の父親であり、イスラエルの王でしたが、結局の所、彼は礼拝者であったということです。彼の業績はまさに、礼拝を改革し、イスラエルの民を礼拝の民へと導いたことでした。ダビデの信念は、「神、主を信じる者であるならば、主のおられるところに必ずいるのだ」でした。         (銘形「歴代誌の瞑想」より引用)

2020年6月21日日曜日

2020年06月21日 第3主日礼拝 罪を悲しむ人たち

招詞
 主の御名は聖であり恐れ多い。知恵の初めそれは主を恐れること。これを行う人はみな賢明さを得る。主の誉れは永遠に立つ。                  詩篇111篇9b~10節

聖書箇所
エステル記9章1節~11節

説教
罪を悲しむ人たち 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/341 祝福に満ちた望み
 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。その恵みは、・・・祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。                テトスへの手紙2章11~13節

 キリストの再臨はキリスト教信仰においてきわめて重要です。それゆえ、サタンは必死になってこの教えを混乱させ、脱線させようとしてきました。ネットで検索すると、聖書から外れた悪魔的な教えもまん延(パンデミック)していますから注意しましょう。
 聖書は、「イエス・キリストが再び来られる」と、明言しています。(ヨハネ 14:3、使徒 1:11 など)
 再臨信仰は救いの信仰の要(かなめ)です。もしこの信仰が崩されれば、創造の信仰も、十字架と復活の信仰もすべてが宙に浮いてしまうのです。したがって、再臨に対する正しい理解は是非とも必要なのです。内村鑑三はこう述べています。「十字架が聖書の心臓部であるなら、再臨はその脳髄であろう。再臨なしに十字架は意味をなさない。したがって、私たちクリスチャンは再臨の信仰の立場に立って聖書を通観し、今の世界を見る必要がある」と。
                         (銘形「再臨と終末預言」から一部引用)


2020年6月13日土曜日

2020年06月14日 第2主日礼拝 偶像礼拝者たちの横顔

招詞
 主のみわざは偉大。それを喜ぶすべての人に尋ね求められるもの。そのみわざは威厳と威光。その義は永遠に立つ。主はその奇しいみわざを人の心に刻まれた。     詩篇111篇2~4節

聖書箇所
エゼキエル書8章1節~18節

説教
偶像礼拝者たちの横顔 田口勇新牧師
説教動画はこちら:

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/340 タンムズ(崇拝 )

 この方は私を主の宮の北の門の入り口へ連れて行かれた。するとそこには、女たちがタンムズのために泣きながら座っていた。                   エゼキエル書8章14節

 タンムズ男神は、シュメールの神話の神と言われ、メソポタミヤ発です。「タンムズは美しい牧神であったが、いのししに殺され、女神イシュタルは夫のために悲しむが、やがて夫を生き返らせるために下界に下った。するとあらゆる野菜等がは枯死した。やがてタンムズが生き返るとイシュタルと再度結ばれ、再び豊かに繁茂するようになった。」シリヤとイスラエルを含むバレスチナ地方では、紀元前6世紀のエゼキエルの時代に、3月の春の雨の後、6月からの乾期に行われたお祭りです。このイシュタルの涙を女たちは演じ、祭りの終わりには、性的な乱痴気騒ぎで閉じるという流れでした。
 しかし、これは、唯一の正しい神を信じる者には、偶像礼拝であります。現代に生きる私たちも、偶像の神を奉ったり、祝ったりすることは、真の神さまの最も嫌われることです。
 「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」(出エジプト20:3)
                       (銘形「エゼキエル書の瞑想」より一部引用) 

2020年6月6日土曜日

2020年06月07日 第1主日礼拝 終局が来る

招詞
 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。 その恵みは とこしえまで。だれが主の大能のわざを告げ 主の誉れのすべてを語り聞かせることができよう。幸いなことよ さばきを守る人々いかな るときにも正義を行う人は。
                                  詩篇106篇1~3節

聖書箇所
エゼキエル書6章1節~7章27節

説教
終局が来る 田口勇新牧師

説教動画はこちら:

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/339  座る(スンカティゾー) 
 しかし、あわれみ豊かな神は、キリスト・イエスにおい て、ともによみがえらせ、ともに天の所に(共に)すわらせてくだ さいました。          エペソ人への手紙2章4a、6節
  キリストにある者は、神の働きや敵との霊的な戦い以前に、常 に、天にあるキリストと共にあるという立場を保つことが何より重 要です。ちなみに、エペソ人への手紙の鍵語は「座す」「立つ」 「歩む」の三つです。しかしその中で最も大切なことは、「座す」 こと、つまり、自分のキリ ストにある立場を知ること です。このことが後の「立 つ」「歩む」を支えていく からです。健康な赤ちゃん が「お座り」できるように なり、つかまり「立ち」に なり、「歩く」という体験 をして成長しますが、霊的 な原則も同じ順序ですね。        (銘形 エペソ書の瞑想より一部引用)