2022年1月29日土曜日

2022年01月30日 第5主日礼拝 ヨセフの使命 ②

招詞
 ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。だれが主の大能のわざを告げ、主の誉のすべて語り聞かせることができよう。幸いなことよ。さばきを守る人々、いかなるときにも正義を行う人は。               詩篇106篇1~3節

聖書箇所
創世記40章1節~23節

説教
ヨセフの使命 ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/424 主は私の羊飼い (アドナイ・ローイ)

 主はわたしの羊飼い。私は乏しいことがありません。           詩篇23篇1節

 この詩篇23篇は珠玉の詩篇といわれるほど、多くの人々がこの詩篇によって励まされ、いやされ、力づけられてきました。「羊の習性」を調べてみると、第一に、羊は臆病で脆弱です。群れをはぐれてしまった羊を捕まえようとすると、不安と恐怖心で逃げてばかりで捕まらないそうです。第二に、迷いやすい。目が悪いということもありますが、実際、羊は羊飼いに連れられて毎日行き来している道を自分では行きも帰りもできず、すぐ迷ってしまうそうです。こんな方向感覚の悪い動物は他にいません。そして第三は、とても頑固です。羊は従順な反面、頑固で、羊飼いに逆らって自分勝手に進んで行き、群れから離れて危険なところに行って自滅するという習性をもっています。ですから羊飼いが必要なのです。羊を笑うことはできません。私たちの信仰を省みると羊に似て、臆病で脆弱です。迷いやすい者たちです。そして、頑固です。そういう者をイエス様は見つけて救ってくださいました。感謝しましょう。 
「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」 ペテロの手紙 第一 2章25節 
                     (銘形:「ヘブル語ディリーブレッド」より引用)

2022年1月23日日曜日

2022年01月23日 第4主日礼拝 礼拝の民のはじめ

招詞
 主を慕い求める者たちの心よ喜べ。主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。                 詩篇105篇3~5節

聖書箇所
創世記4章25節~26節

説教
礼拝の民のはじめ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/423 マナ(ヘブル語:マーン)

 それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。    申命記8章3節

 荒野で40年間食べた奇跡の食物マナは、罰として神が与えたまずい食物ではなく、神が養ってくださるという信仰体験そのものとなりました。これは預言的で す。千年王国では、私たちの衣食住は、100%神様に頼ることになりますから。マナの記事を他人事と思わず、神のことばを日々正しく悟って生きる者にさせていただきたいものです。
                      (銘形「ヘブル語講座アラカルト」より一部引用)

2022年1月17日月曜日

2022年01月16日 第3主日礼拝 ヨセフの使命 ①

招詞
 私はいのちの限り主に歌い、生きるかぎり私の神をほめ歌います。私の心の思いがみこころにかないますように。私は主を喜びます。               詩篇104篇33~34節

聖書箇所
創世記39章1節~23節

説教
ヨセフの使命 ① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/422 神を呼ぶ名前(シェム)
 
   初めに、神が天と地を創造した。                   創世記1章1節
  
 神という普通名詞は、ヘブル語でエルですが、聖書ではその複数形エロヒムが、上記天地創造の神の固有名詞です。ヤーヴェも固有名詞で、初めから存在なさる方としての神です。神は、この2つの固有名詞の他、いろいろな名前で呼ばれています。アブラムの前に登場したメルキゼデクという人物は「主」を「いと高き神」(エル・エルヨーン)と紹介しました。それは「すべてを超越した存在者」を意味します。また、神はアブラムに「全能の神」(エル・シャダイ)として現われました。すべての必要を与えることのできる力ある神という意味です。信仰の先輩たちが、いろいろな時代の中で、創造主「主」をいくつかの名前で呼ぶとき、そのようなお方として体験的に知ったからです。頭で知ったのではなく、体験として知ったからです。
ダビデは、詩篇23篇で「主は私の羊飼い」(アドナイ・ローイ)と告白しています。主を「私の羊飼い」(ローイ)と表現しました。それは主にあって、私は乏しいことが何一つない(ロー・エフサール)という告白です。この方にあってすべては満たされていることを意味する「アドナイ・ローイ」。これが、ダビデの生涯の信仰体験を集約した創造主の名前でした。私たちも、「インマヌエルの神さま」と呼ばれたイエスさまを信じて救われ、礼拝しています。イエスにあって、日々祈りの交わりをしている神の民とされていることを感謝して歩みましょう。
                       (銘形「ヘブル語のキーワード」から一部引用)

2022年1月8日土曜日

2022年01月09日 第2主日礼拝 夢見るヨセフ

招詞
 わがたましいよ。主をほめたたえよ。わが神、主よ。あなたはまことに大いなる方。あなたは威厳と威光を身にまとっておられます。あなたは光を衣のようにまとい、天を、幕のように張られます。                                詩篇104篇1~2節

聖書箇所
創世記37章1~36節

説教
夢見るヨセフ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/421 神の栄光(カヴォドとドクサ)
 
 何をするにも、ただ、神の栄光を現わすようにしなさい。コリント人への手紙第一10章31節

 「栄光」(ヘブル語:カヴォド、ギリシャ語:ゴクサ)とは、「目に見えない神の輝かしい臨在」のことです。旧約聖書に200回、新約聖書には166回使われている最重要語の一つです。
神さまは、稲妻や雷など自然界を通して、またモーセと燃える柴(出3)など超自然的な現象を伴ってご自身の栄光が現わされました。また、人や場所を通してご自身の栄光を表されます。
ある私訳では、「心を込めて熱心に、しかも、喜んで、惜しげもなく、大胆に、自発的に、気前よく、すべてのことをして神の栄光が現わされるようにしなさい」とあります。信じた人にとって、身体と心の所有者は神ご自身です。しかし使用権が私たちに与えられています。病弱であっても、身体の不自由をもっていたとしても、私たちはこの身体をもって神の栄光を現わすことができます。星野富弘さんはその良い例です。彼は体育の教師でした。宙返りをした時に頭から落ちて、首から下が不随になりました。苦しみの中で、寄り添う人々の助けでキリストに出会い、クリスチャンとなりました。一見、身体は不自由に見えるのですが、心は反対に空を飛ぶ鳥のように、自由に生きることができることは、星野さんの詩画集から歴然としています。
私たちの存在を丸ごと受け入れて下さった神の栄光を現わすことが、神の子どもとしての生きる目的です。祈りの生活を通して、ご聖霊の静かな声に耳を傾けるとき、私たちが神の栄光を現わす存在となっていきます。              (銘形「ヘブル語のキ―ワード」より引用)

2022年1月1日土曜日

2022年01月02日 新年礼拝 おめでとうの根拠

招詞
 人、その一生は草のよう。人は咲く、野の花のように。風がそこを過ぎると、それはもはやない。その場所さえもそれを知らない。しかし、主の恵みは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり。主の義はその子らの子たちに及ぶ。わがたましいよ、主をほめたたえよ。
                             詩篇103編15~17、22節

聖書箇所
ルカの福音書10章1節~20節

説教
おめでとうの根拠 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/420 ザクロとイスラエル

 あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜のある地である。    申命記8章7節

 ザクロは、イスラエルの新年に無くてはならない果物で、国中どこに行ってもザクロの生ジュースのスタンドがあるそうです。9~10月が新年で、ロッシュ・ハシャーナと呼ばれ、丁度ザクロの季節です。
聖書を見ると祭司の衣装や建築の中にもざくろのプレゼンスは高めです。大祭司のローブの一部のデザインだったり、紀元前1000年のソロモン神殿の柱のモチーフに使われました。イスラエルの歴史における重要アイテムがざくろだったことがわかります。
ところで、イスラエルでは、上記申命記の、蜜を除く6つにナツメ椰子を加え、カナン定着時代からの歴史的な7食材と言われます。主なる神さまは、約束通り、40年間の荒野での生活の後、豊かに実る良い地へ導いてくださいました。