2023年6月24日土曜日

2023年06月25日 第4主日礼拝 教会のチャレンジ ⑩ 聴く異邦人たち

招詞
 神、その道は完全。主のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。主のほかに、だれが神でしょうか。私たちの神を除いて、だれが岩でしょうか。     詩篇18篇30~31節

聖書箇所
使徒の働き17章1~15

説教
教会のチャレンジ ⑩ 聴く異邦人たち 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/497 心砕かれた人 (ダカー)

 「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。」    イザヤ書57章15節

 預言者イザヤは、「主は、へりくだった者と共に住む」と語ります。活躍したイスラエル南王国では、王や民たちの尊大さに心痛めたイザヤでした。「へりくだった人」とは、「心砕かれた人」のことです。人の心の何が砕かれたのでしょうか。人の何が砕かれなければならなかったのでしょうか。それは人の心にある「高ぶり」です。
詩篇 90篇3節には、「あなたは人をちりに帰らせます。『人の子らよ、帰れ。』と言われます。」とあります。 ここでの「ちり(ダカー)」とは、人を土のちりで造った(創世記2:7)という「ちり(アファル)」ではなく、「打ち砕く」という動詞がもとになっている名詞です。神によって打ち砕かれて粉々にされるという意味です。つまり神は人の高ぶりを打ち砕いて、悔い改めさせて、自分のもとへ帰ってくるように招いておられるのです。悔い改めて、神のもとに帰るためには、神は人の高慢(高ぶり)を打ち砕かれるのです。その意味では、「打ち砕き」は、人が救われるための主からの一方的なご干渉です。感謝しましょう。    (銘形「謙遜への招き」より一部引用)

2023年6月18日日曜日

2023年06月18日 第3主日礼拝 教会のチャレンジ ⑨ 救われるためには

招詞
 わが力なる主よ。私は、あなたを慕います。主はわが巌いわお、わが砦、わが救い主。身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。         詩篇18篇1~2節

聖書箇所
使徒の働き16章16~40

説教
教会のチャレンジ ⑨救われるためには 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/496 謙遜への招き 2言

 「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」                       マタイの福音書11章29節
「わたしにとどまりなさい。・・わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができなのです。」          ヨハネの福音書15章4、5節

 御子イエスはいつも御父とくびきを共にしておられました。御子はいつも御父にとどまっておられました。そしていつも御父の呼吸と合わせておられたのです。その御子が私たちに「わたしのくびきを負いなさい」、「わたしにとどまりなさい」と呼びかけておられます。この呼びかけは「謙遜」への呼びかけです。私たちは主イエスの謙遜に学ぶように招かれています。そしてこの招きに応えることは、自分の救いを達成していくことにつながります。罪によって失われた謙遜を回復することは、人生をかけたチャレンジです。真の謙遜の回復は、体と心を通して神の栄光が現わされていく道であると信じます。             (銘形「謙遜への招き」より一部引用)

2023年6月11日日曜日

2023年06月11日 第2主日礼拝 教会のチャレンジ⑧ 聖霊の導きで

招詞
 神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。私に耳を傾けて、私のことばを聞いてください。瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください。
                                    詩篇17篇 6、8節

聖書箇所
使徒の働き16章6~15

説教
教会のチャレンジ⑧聖霊の導きで 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/495 追加された断食日
 
 律法に定められた「断食」は年一度、第七の月の十日の「贖罪の日」だけでした(レビ記 23:27)。この日には、民が自分たちの罪を嘆き、いけにえをささげて悔い改める日でしたが、神を愛し隣人を愛する心が根底にありました。バビロン捕囚の期間に、断食日はさらに四日加えられました。過去の悲しい出来事を嘆き、身を戒めるという意味で追加されたようです。以下、月日は、ユダヤ暦によります。
(1) 10月10日 B.C.588 エルサレムが包囲された日(エレミヤ 39:1/52:4)
(2) 4月9日 B.C.586 エルサレムの城壁が破壊された日(エレミヤ 39:2)
(3) 5月10日 B.C.586 神殿が焼失した日(エレミヤ52:12~14)
(4) 7月9日 B.C.586 総督ゲダルヤ暗殺の日(エレミヤ41:1~3)
2000年前、イエスさまは、私たちの犯した罪をすべて赦し、罪を贖ってくださいました。教会の時代の今、このイエスさまに感謝すると共に、神を愛し隣人を愛する心で日々過ごしましょう。そして罪から遠ざかることは忘れないようにしましょう。 (銘形「ザカリヤ書の瞑想」より一部引用)

2023年6月4日日曜日

2023年06月04日 第1主日礼拝 教会のチャレンジ ⑦ アジア宣教

招詞
 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びが、あなたの御前にあり、楽しみがあなたの右にとこしえにあります。                詩篇16篇11節

聖書箇所
使徒の働き15章36節~16章5

説教
教会のチャレンジ ⑦西アジア宣教 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/494 断食の真意
 万軍の主はこう言われる。「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。やもめ、みなしご、寄留者(在留異国人)、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で、悪を企むな。」
                                ゼカリヤ書7章9~10節

 ゼカリヤは、バビロン捕囚の末期、ペルシャ王ダリヨスの時代の預言者です。年二回、行っていた断食は、自分たちの利益を願う心のこもっていない形式的なものだったと語り、民と指導者を断罪します。イエスさま以来、教会の時代の今、断食は、「ねばならぬ行為」ではありません。聖書をよく理解し、変えられて正しい裁きと弱者救済の心を養い、神を愛し、隣人を愛しなさい、という神の御心を行うことこそが救われた者の「ねばならぬ」ことです。
イエスさまも、マタイの福音書 23:23で律法学者たちを厳しく裁いています。
「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、ミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。」
                        (銘形「ザカリヤ書の瞑想」より一部引用)