2023年4月30日日曜日

2023年04月30日 第5主日礼拝 さあ、行こう

招詞
 主よ。私たちの主よ。この地上において、あなたほどすばらしいお方はありません。あなたの栄光は天の上にまで輝き、幼子や乳飲み子によって、ほめたたえられています。
                               詩篇8篇1~2節(現代訳)
 
 
聖書箇所
イザヤ書52章12節
マタイの福音書26章26、56節

説教
さあ、行こう 金田与施夫師(DVD)

言(こと)ローグ/489 日ごとの糧(アルトス)
 「人はパン(アルトス)だけで生きるのではなく、神の口から
出る一つ一つのことばによる。」と書いてある。マタイ4章4節

 イエスがこう言われた意味は、目に見える食物としての「パン」だけでは人は生きることができず、天から下ってきた「パン」を食べることで永遠に生きることができる(ヨハネ6:48~51)という意味です。天から下ってきた「パン」としてのキリストが、「アルトス」という隠喩(暗喩)として用いられています
このように考えてくると、「主の祈り」にある糧(パン)=アルトスは、単に私たちが口にする食物としての「パン」でなく、私たちが神と共に生きるに必要な、神と永遠に生きるに必要な「パン」、すなわち、キリストとキリストによってもたらされる天にあるすべての霊的祝福という「パン」という二つの意味を持っています。御国との繋がりが見えました。しかし、思うに、後者の意味でこの「主の祈り」を祈っている人は少ないかも知れません。私たちはどうでしょうか。 (銘形「主の祈り」より一部引用)

 

2023年4月23日日曜日

2023年04月23日 第4主日礼拝 キリストのみ

招詞
 主よ、どうかあなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾のようにいつくしみでおおってくださいますように。 詩篇5篇11~12節
 
聖書箇所
マタイの福音書11章28~30節 

説教
キリストのみ 銭谷幸器師(DVD)

言(こと)ローグ/488 天の父②
 私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。              マタイ6章11節

 主の祈り(マタイ6:9~13ほか)は、当教会を含め多くのキリスト教会の礼拝において、公に祈られている祈りです。ところで、主の祈りには5つの重要な御国の概念が含まれています。①神を「父」としています。なぜ神を「父」と呼ぶのでしょうか。ギリシア語の「パテール」には家父長的な意味合いしかありませんが、父を意味するヘブル語の「アーヴ」にはそれ以上に深い「霊的な父」の意味も隠されています。②「御名」とは、神である父が御子イエスを通しての言動すべてを意味します。③「御国」とは、神が支配する国のことであり、神と人とがともに住む「家」(幕屋、神殿、都)を意味します。④「みこころ」とは、神がなそうとしておられるご計画と神ご自身の喜びを意味します。⑤「御国が来る」とは、神と人とがともに住む神の王国(神の家)が地上に来ることを意味します。まとめると、キリストにあって、「天にあるもの、地にあるもののすべてがキリストにあって一つとなるように」という祈りです。さて、では関心事の食べ物はどうでしょうか。御国と「日ごとの糧」はどう関わるのでしょうか。次回に続きます。
                            (銘形「主の祈り」より一部引用)

2023年4月15日土曜日

2023年04月16日 第3主日礼拝 イエスのくびきを負いなさい

招詞
 主よ、あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。                  詩篇4篇7~8節
 
聖書箇所
マタイの福音書11章28節~30節

説教
イエスのくびきを負いなさい 菅孝雄兄

言(こと)ローグ/487 天の父①
 「主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。」          イザヤ書9章6~7節

 主の祈り(マタイ6:9~13ほか)で、イエスさまがまず教えられたことは、神さまを「父」と呼ぶことでした。その意図は、イエス様を信じる者が子として父との関係をもっていること、そして、その関係が麗しく親密な関係を持つことを築くことが求められているからです。イザヤ書9章にあるメシア預言で「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれていますが、なぜメシアが「永遠の父」と呼ばれるのかといえば、それは、メシアなるひとりのみどり子、御子イエスが「永遠の父」を啓示するからです。ヨハネは「父のふところにおられるひとり子としての神が、神を解き明かされるのである」(1:18)と記しています。単なる「子」ではなく、「ひとり子」という特別な存在、「父のふところにおられる」という最も親密さを表現する言い回しで、父なる神との永遠の親密なかかわりを持ち、人となって神を完全に啓示する神の御子であることを表しています。「父よ」「天にいます父よ」と声を出して語りかけることはできます。しかし親しい関係を感じながら、ゆるぎない信頼関係をもって「父よ」と呼びかける、そんな関係を持つことが祈りの土台です。私たちが父に対してそうした信頼の土台を持つとき、どんな人生の雨や嵐、洪水が押し寄せてきたとしても、ブレることなく、堅く立つことができるのです。 (銘形「主の祈り」より一部引用)

2023年4月9日日曜日

2023年04月09日 第2主日礼拝 イースター・召天者記念礼拝 復活、私の希望

招詞
 幸いなことよ。悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。       詩篇1篇1~2節
 
聖書箇所
ヨハネの福音書21章1~19節

説教
復活、私の希望 田口勇新牧師

説教動画はこちら:動画ファイル
音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/486 「三つの必ず成る」 デイ
 ルカの福音書24章では三つのエピソードを通して、イエスの復活の必然性が記されています。三か所ともに、動詞デイ(必ず成る)が記されています。
第一のエピソード (1~12節)「人の子は必ず罪人の手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない」ことを思い出させました。そして女性たちはそのことを思い出したのでした。
第二のエピソード (13~35節) イエスは、エマオの途上にある二人の弟子に現われ、「キリストは、必ず、・・苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのか。」と問いかけ、その必然性を聖書全体の中で説き明かされました。
第三のエピソード (36~49節) イエスが11人の使徒、および弟子たちの真ん中に立たれて、「聖書に書かれていることは、必ず全部成就する」ということを述べただけでなく、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、イエスの復活によって弟子たちに託される使命について語っています。
十字架の死と復活の事実について、旧約聖書を通して啓示されてきたことが成就した必然的な出来事であることをイエスご自身が聖書を用いて説き明かされました。このことはとても重要なことです。なぜなら、イエスが復活された事実を弟子たちは自分の目で見たのですが、私たちは彼らの証言だけでなく、神の啓示の書である聖書によってその事実の必然性を悟る必要があるからです。三つのデイ(必ず)は私たちの救いのための必然でした。主イエスの愛にもう一度感謝しましょう。 
                         (銘形:ルカ24章の瞑想より一部引用)

2023年04月02日 第1主日礼拝 四つの杯 ② 完了した

招詞
 ハレルヤ。角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。 琴と竪琴に合わせて、神をほめたたえよ。息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。         詩篇150篇1、3、6節
 
聖書箇所
ヨハネの福音書19章1節~42節

説教
四つの杯 ② 完了した 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/485 三日目と初穂 アパルケー
 キリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
                           コリント人への手紙第一15章20節
     イエスさまは、三日目に死から復活されました。なぜ三日だったのでしょう。
イエスさまが十字架で死なれたのは、「過越の祭り」の日でした。その後に、順序として初穂の祭りがありましたが、当時は、太陽暦でないのでその間隔は毎年異なっていました。ところが、この年の初穂の祭りは、安息日を挟んで三日目でした。「初穂の祭り」は必ずその週の安息日の翌日である週の第一日目(日曜日)と決まってたからです。
当然、ヨハネ 2:19で、「三日で(霊の)神殿を建てる」と豪語されたイエスさまは、自分の苦難と死を迎える十字架の年の初穂の祭りは、安息日を挟む三日めであることを知っていたはずです。これが「三日目によみがえらなければならない」という「三日目」の必然性です。イエスさまの「よみがえり」の日は、この年は、「初穂の祭り」の日と重なるのでなければならなかったわけです。
このように、モーセの時代、レビ記 23:10〜11で制定された初穂の祭りでさえも、神の救いのご計画を正確に預言・啓示していたのです。それゆえ、「(旧約)聖書の示すとおりに」(Ⅰコリント 15:4)となるのです。上記、ギリシャ語のアパルケーの元の意味は「最初の犠牲」です。そこから転じて「初穂」と呼ばれました。神のみ子イエスさまは、人の子として生まれ、人の罪のために死んで下さった最初で最後の方です。十字架上でご自分の血をもって死の呪縛に恐れる全人類をサタンから奪還なさった方です。同時に、これは十字架の贖いのみ業で力を失ったサタンの敗北の出来事でした。このイエスさまのみ業に感謝して、受難週を過ごし、イースターの喜びを倍々で祝いましょう。