2022年2月27日日曜日

2022年02月27日 第4主日礼拝 ヨセフの使命⑥ 回復3

招詞
 私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。  詩篇111篇1、10節

聖書箇所
創世記43章1節~34節

説教
ヨセフの使命⑥ 回復3 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/428 共に生きる(シェベト・ガムヤハド)①

 見よ。なんというしあわせ、なんという楽しさであろう、兄弟たちが一つになって共に生きることは。それは頭に注がれた貴い香油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。それはまたヘルモン山からシオンの山々におりる露のようだ。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。                 詩篇133篇1~3節

 この詩篇では、主にある共同体における一致の祝福が描かれています。主にあって、すべてが「一つになること」は神が描かれた究極の絵です。主イエスにある兄弟姉妹たちが一つとなること、「共に住むこと」は、初代教会において実現しました。そこには麗しい一致が見られました(使徒の働き2章参照)。
「一つとなること」、それは信じた者たちによる愛の交わりです。画一的な一致ではなく、それぞれが個性を持つことを受け入れる、多様性をもった相互依存という一致の祝福です。しかも、それは「ひげから衣の裾にまで流れしたたる」末広がりの祝福です。また、「ヘルモンの露にも似た」豊かないのちの水によって多くの実が結実する継続する祝福と言っています。この一致を宝としてしっかり守りましょう。        (銘形「ヘブル語のディリーブレッド」より一部引用)

2022年2月20日日曜日

2022年02月20日 第3主日礼拝 ヨセフの使命⑤ 回復2

招詞
 神よ私の心は揺るぎません。私は歌い、ほめ歌います。私の心の底も。主よ、私は諸国の民の間であなたに感謝し、もろもろの国民の間であなたをほめ歌います。    詩篇108篇1、3節

聖書箇所
創世記41章53節~57節
創世記42章1節~38節

説教
ヨセフの使命⑤ 回復2 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/427 陶器師の粘土(ホーメル)

 見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。                               エレミヤ書18章6節

 神はご自身の民を、陶器師の手の中にある粘土のように自由に取り扱う権利があります。陶器師は目的に従って粘土を選ぶことから始まって、粘土から小さなゴミや石ころを取り除き、柔らかくなるまでよく練ります。そしてろくろに乗せて思いのままの形に仕上げるのです。ゴミや石ころは、まとわりつく罪や無用なこだわりなどでしょう。
「ろくろ」に置かれる粘土のように、私たちも毎日の生活の中で、 神の御手によって神のみこころにあったものとして形造られていくのです。そして、最後の仕上げとして、つまり円熟(完成)させられるための最終テストに入ります。それは窯に入れて焼かれることです。火は粘土を陶器に変えます。私たちの人生においてもご聖霊の火が必要なのです。
                   (銘形「ヘブル語のディリーブレッ ド」から一部引用」)

2022年2月12日土曜日

2022年02月13日 第2主日礼拝 ヨセフの使命 ④ 回復 1

招詞
 主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。感謝のいけにえを献げ、喜び叫びながら主のみわざを語れ。              詩篇107篇21~22節

聖書箇所
創世記41章46節~52節

説教
ヨセフの使命④ 回復 1 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/426 主を愛し尽くす(アハバー)

 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
                                     申命記6章5節

 心、いのち、力を尽くして、神、主を愛することは、人間の自分力によってはなし得ないことを旧約の歴史があかししています。神である主の恩寵(恵み)によって、主を知り、信じるとき、はじめてできるようになります。
ところで、日本語の「心」は情緒に重きが置かれますが、ヘブル語の心は、理解力、洞察、悟りといった知性や意志の働きと強くかかわっています。ですから、自発性、主体性、自立性といった意味合いが含まれます。教会に集まり(あるいはズームで)、主を礼拝するというとき、「心を尽くす」とは、しなければならないからするといった義務からではなく、自ら進んでともに集まり、主体的に主の前に出るという自発性からのものです。今、主の恵みによってそうできていることに感謝しませんか。            (銘形「ヘブル語のディリーブレッド」より一部引用」

2022年2月5日土曜日

2022年02月06日 第1主日礼拝 ヨセフの使命③

招詞
 主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。まことに主は、渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。    詩篇107篇8~9節

聖書箇所
創世記41章1~46節

説教
ヨセフの使命③ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/425 み言葉を食べる(アーハル)

 私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べました。そうして、あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。         エレミヤ書15章16節

 紀元前7世紀にエルサレムはネブカドネザル王に攻め落とされ、バビロン捕囚が始まりました。神の救いのマスタープランから見れば、その目的が神の民に将来と希望を与える計画だと言えるのは、バビロンの地で主が神の民によって「見つけられる」「出会う」からです(エレミヤ29:14)。やがてそれほどに神の民は真剣に主を尋ね求めるようになるのです。ですから預言者エレミヤは、「わたしはあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました」と告白しているのです。新共同訳では、「あなたの御言葉が見出されたとき、わたしはそれをむさぼり食べました」と訳しています。
神と人とのかかわりは愛に対する歓喜です。それこそ「新しいぶどう酒」であり、それがいつの時代でも「新しい皮袋」を必要としていくのです。しかし、そうなる前には「古い皮袋」の存在があり、新しいブドウ酒と「古い皮袋」とのギャップに悩まされるのです。エレミヤも神のみことばによって預言者としての喜びを経験していました。彼がそれを経験できたのはひとえに「私はあなたの名をつけられていからです(同15:17)」とあるように、神に召されたからです。
私たちも、新しい皮袋をいただき、イエスの福音という新しいぶどう酒を頂いていますが、古い自我という皮袋とのギャップに悩まされることがありませんように。まして、それを取り出してそこに自己主張を貯めておくことがありませんように。最善の予防法は、み言葉をむさぼり食うことでしょう。               (銘形「ヘブル語のディリーブレッド」より一部引用)