2019年8月25日日曜日

2019年08月25日 第4主日礼拝 70週の預言②

招詞
世界とその中に住むものよ 鳴りとどろけ。こぞって喜び歌え。主の御前で。主は 地をさばくために来られる。 主は義をもって世界をさばき、公正をもって諸国の民をさばかれる。
                               詩篇98篇7~9節(一部)

聖書箇所
ダニエル書9章20~27節

説教
70週の預言② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/302 偽預言者ハナヌヤ

 「行って、ハナンヤに次のように言え。『主はこう言われる。あなたは木のかせを砕いたが、その代わりに、鉄のかせを作ることになる。・・・』」         エレミヤ書28章13節

   ハナンヤは、王の機嫌とりのため、「主は、バビロン王の軛を打ち砕く 二年のうちに、神殿から略奪された器具と捕囚された者たちを帰らせる。」と偽りの預言をしました。エレミヤの預言は、その時点では主が許される時まで、と時を示しませんでした。王と人々はハナヌヤを信じ、エレミヤは立ち去ります。
 しかし、主は、上記のみ言葉をもってハナンヤを裁きました。神のご計画を妨げる者に対して神は厳しく取り扱われます。ハナンヤの犯した罪は、主から語られたことばではなく、人々が聞きたいことばを語り、幻想を民たちの中に吹き込んで惑わしました。それゆえに裁れたのです。
 この世に迎合することなく、みことばに真摯に向き合い、そこから語られる神のメッセージに耳を傾けるよう肝に命じなくてはなりませんね。      (銘型「エレミヤ書」の瞑想より引用)

2019年8月18日日曜日

2019年08月18日 第3主日礼拝 70週の預言①

招詞
 全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。                               詩篇98篇4~5a節

聖書箇所
ダニエル書9章1~27節

説教
70週の預言① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/301 預言と予言

 「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守るものは、幸いである。」
                                    黙示録22章7節

 預言は、旧約聖書ヘブル語ナーバーも新約聖書ギリシャ語プロフェテースも「主なる神からの霊感によって語る・預言する」という意味です。両方合わせると聖書(新改訳3版)では674回も訳出されています。預言者の他の呼称として先見者(ガドなど)がいますが、同じ意味です。 
 これに対して予言(prediction)は、聖書には出てきません。予言とは、ある物事についてその実現に先立ち「あらかじめ言明すること」で、その予言者(占い師など)には聖書の神様は関わっておらず、多くの場合、別の霊が彼らをコントロールしている怖いものです。ネット上では、異端も含め、様々な偽の預言者や予言者たちが閲覧者を勧誘しています。その場合、自分の姿を明らかにしないで近づいてきます。 
 もっとも賢い防備は聖書のみ言葉です。み言葉は、御霊の与える剣で、霊的な攻撃にたいすする武器です。み言葉をよく読んで理解していると、異なる教えや間違った聖書解釈を見分ける力がつきます。サタンも光の天使に擬装して(2コリント11:14)、クリスチャンをだまそうとするのですからしっかり見極めましょう。 

2019年8月11日日曜日

2019年08月11日 第2主日礼拝 雄ヒツジと雄ヤギの幻

招詞
全地よ。主の御前に、おののけ。国々の中で言え、「主は王である」と。 詩篇96篇9~10節

聖書箇所
ダニエル書8章1~27節

説教
雄ヒツジと雄ヤギの幻  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/300 天のみ国(バシレーヤ・トーン・ウラノーン)

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
                               ローマ人への手紙3章23節

  仏教の公式サイトとも言える budismo.comでは、警告として「仏教では、死んだら極楽とか、死んだら仏になれると教えられているのではありません。自業自得の因果の道理にもとづいて、死ぬまでの自分の行いによって死後の世界が決まる」と教えています。善人は善人として扱われるが、そうでない死者は、死後も功徳(くどく)を積む、果てしない旅が始まる、というわけです。これでは、誰も極楽に入れる望みは無いでしょう。人は、死後の不安を持ちながら現在を生きていくことになりますね。
 上記、聖書の教えは、これとは全く異なります。全ての人は、生まれつき罪人なので、また善を行う力のない者なのでそのままでは望みは無い。けれども、罪人も「神の恵み」により神の御子イエス・キリストを救い主と信じる信仰だけで神のみ前に正しい者としていただける、という実に「ありがたい」教えです。イエスさまが、「私を通して(信じて)でなければ誰ひとり父のみもと=天国にいくことはできません」(ヨハネ13:6b)と言っているように、イエスさまを信じる人は、罪を赦されて罰を受けないばかりか、死後、そのまま天国に入ることができます。功徳を積まなければ、という条件はありません。


2019年8月4日日曜日

2019年08月04日 第1主日礼拝 ダニエルの見た幻②

招詞
まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。                  詩篇96篇5~6節

聖書箇所
ダニエル書7章19~28節  

説教
ダニエルの見た幻② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/299    永遠への道(アイオーン)

 (あなたがたは)私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かに与えられるのです。                    ペテロの手紙第二1章11節

  ダニエルの終末預言は、永遠への道を示していて、新約聖書には永遠(アイオーン)という言葉が94回も出ています。神の元々の計画は、人が永遠に生きることでした。アダムとエバが食べてもよかった木の実には、永遠のいのちの木の実も含まれていたのですから(創世記2:15)。ところが、彼らは唯一禁じられていた木の実(善悪の実)を、わざと食べてしまいました。その結果、罪と死が入り、永遠の家から追放されました(創世記3:23、1コリント15:21)。にもかかわらず、神は、イエスを信じた者を永遠の御国に招いてくださいました。救われた私たちが、神の家で神と永遠に過ごすことができると保証されていることは何と幸いなことでしょう。目をあげて感謝しましょう。