2021年8月28日土曜日

2021年08月29日 第5主日礼拝 サラの死に泣いたアブラハム

招詞
 わがたましいよ主をほめたたえよ。私は生きているかぎり主をほめたたえる。いのちのあるかぎり私の神にほめ歌を歌う。                      詩篇146篇1~2節

聖書箇所
創世記23章1節~20節

説教
サラの死に泣いたアブラハム 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/402 隠れ場(セーテル)
 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、 救いの歓声で私を囲んでくださいます。
                                     詩篇37編2節

 詩篇の中に「あなたは、私の隠れ場」(32:7、119:114)という信仰告白があります。この信仰告白はどのような告白であり、またその告白はそれを告白するものにとってどのような霊性をもたらしたのでしょうか。
「隠れ場」というキーワードは、それが今日のキリスト者にとって、再度、見直さなければならない内容を持っています。上掲の詩篇におけるダビデも、預言者エリヤも、そしてイエス・キリストも使徒パウロもみな「隠れ場」を知っていました。なぜなら隠れ場は「主の臨在されるところ」だったからです。神の「隠れ場」に身を避け、そこに住み(とどまり)、神のみことばを待ち望むことで力を得たのです。私たちも隠れ場に身を避け、主のご臨在に触れる機会を持ちましょう。
                        (銘形「ヘブル語のキーワード」から引用)

2021年8月21日土曜日

2021年08月22日 第4主日礼拝 アブラハムの大試練

招詞
 主はご自分のすべての道において正しくそのすべてのみわざにおいて恵み深い方。主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられます。
                                詩篇145篇17~18節

聖書箇所
創世記22章1節~19節

説教
アブラハムの大試練 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/401 ヘブル語動詞の強意形
 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
                                 創世記2章16~17節

 ヘブル語動詞には、意味を強調する強意形があり、聖書の深読みを助けます。聖書ではそのニュアンスを伝えるために、工夫した訳をみることができます。例えば、上記、「必ず死ぬ」と言われた箇所は原文では「死ぬ・あなたは死ぬ(モート・ターモート)」です。アダムとエバは、強い禁止を言い渡されたのに、サタンの前では、二人の不注意な対応でまんまと取りこまれてしまい、重大な罪を犯しました。
 他の例として、創世記43章7節で、ユダが父ヤコブに「あの方が私たちや家族のことについて、『おまえたちの父はまだ生きているのか。おまえたちには弟がいるのか』としきりに尋ねるので、問われるままに言ってしまったのです。」と言う箇所がありますが、この「しきりに尋ねて」と訳されているところが、原文では「尋ね・尋ねて(シャオール・シャーアル)」です。強調形で、ユダの後悔の念を読者に伝えています。     (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2021年8月15日日曜日

2021年08月15日 第3主日礼拝 ロトが失ったもの

招詞
 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることもできません。代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い、あなたの大能のわざを告げ知らせます。 詩篇篇45篇3~4節

聖書箇所
創世記19章1節~38節

説教
ロトが失ったもの 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/400 時のしるし
 パリサイ人たちやサドカイ人たちが、イエスを試そうと近づいて来て、天からのしるしを見せてほしいと求めた。イエスは彼らに答えられた。「夕方になると、あなたがたは『夕焼けだから晴れる』と言い、朝には『朝焼けでどんよりしているから、今日は荒れ模様だ』と言います。空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることはできないのですか。
                              マタイの福音書16章1~3節

 これは、「天からのしるし」について、パリサイ人たちへのイエスさまの挑戦のことばです。彼らが目にしている天に関する「天候」について話を切り出し、空模様によって天気を予測するという「天のしるし」は理解するのに、神にかかわる「天のしるし」には全く理解がないことを責めています。預言者の言葉通り、時が満ちてこられた救い主イエスさまを認めることができなかった霊的な盲目を責めます。私たちも毎日天気予報を聞き、行動していますが、信仰の目でこの世界をみる目は養われているでしょうか。
ところで、ミッション・エメットは、十字架福音キリスト教会が立ち上げたYoutubeのサイトです。一般に知られていない聖書の真実の姿を、分かりやすく伝えたいと、「現代文明の終焉」「バベルの塔の秘密」など全23編を見ることができます。興味のある方はご視聴ください。エメットとは「真実」の意味のヘブル語で、右は、一回目の「現代文明の終焉(9分)」のQRコードで下は、そのURLです。
https://www.youtube.com/watch?v=bExjTT1kOwA

2021年8月7日土曜日

2021年08月08日 第2主日礼拝 イシュマエル との別れ

招詞
 私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。   詩篇145篇1~2節

聖書箇所
創世記21章8節~21節

説教
イシュマエルとの別れ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/399 「赦す」と「禁ずる」②
 「ヨナの子シモン。あなたは幸いです。。。あなたは堅い石のペテロです。わたしは、本当に堅い石であるわたしの上に自分の教会を建てます。悪魔の力もこれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天国の権能を委ねます。あなたがこの地上の教会で行使する権能は天のお父様からのものです。」                マタイの福音書16章17~19節 (現代訳)

 デオー(赦す)とリュオー(禁ずる)の続きです。イエスさまは、実は16章ですでに教会の権能としてデオー(赦すこと)とリュオー(禁ずること)をペテロたちに教えていました。18章でイエスさまは、「赦す」と「禁ずる」が、ペテロに個人的に与えられた権能でないことを確認する意味で弟子たちに語られました。
 ところが、この箇所をローマカトリック教会(以下RCと略述)は、ペテロに賦与された個人的な権威としてペテロと後継者の教皇権を主張する根拠にし、ローマ教会を最優位と決めてしまいました。しかし、ルターは、16世紀の宗教改革の時、聖書の教えに反するとして教皇権とローマ教会の優位性をはっきりと否定しました。命がけの行為でしたが、ドイツを始め北欧諸国がRCから離脱しプロテスタント教会の始まりです。地上のすべての教会の繋がりを一つと考えて普遍的教会(ユニバーサル・チャーチ)と言いイエスさまは全教会の頭です。しかし、この普遍的教会は、RCの意味ではありません。私たちは、普遍的な「キリスト教会」という目に見えない旗を世界に掲げていますが、同時に、地域の教会(ローカル・チャーチ)として目に見える旗を盛岡市に掲げています。

2021年8月1日日曜日

2021年08月01日 第1主日礼拝 ストレスから笑いに

招詞
 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。
                                詩篇139篇23~24節

聖書箇所
創世記18章1節~15節
   21章1節~8節 

説教
ストレスから笑いに 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/398 「赦す」と「禁ずる」
 言っておきますが、あなた方(弟子たち)が地上で赦したり、禁じたりすることは、天でも同じようにされるのです。           マタイの福音書18章18節 (リビングバイブル)

 上記は、8月の賛美の聖句でもあります。天は、神さまの意味で、神を直接言及することを避けた言い方です。さて、この箇所は、新改訳2017も聖書協会共同訳も「つなぐ」と「解く」と訳されていますが、なぜでしょうか。以下の説明は、イエスさまが弟子たちにこの説教(教え)をなさった時に使った言葉は、ヘブル語だ、ということが前提になります。イエス様の時代のヘブル語の慣用句では、アサル(赦す)とヒティル(禁ずる)を、ヘブル語を母語とする使徒マタイが、ギリシャ語デオーとリュオーに訳しました。その時点では問題は起こりません。しかし、後代の教会が、特に英語訳した翻訳者たちが、ヘブル語の慣用句の意味を考慮せず、七十人訳ギリシャ語聖書の影響も受け、「つなぐ」と「解く」に転訳しました。その結果、私たちにはわかりにくい訳となりました。日本語の訳である「つなぐ」と「解く」も残念ながら英語訳の影響をもろに受けているわけです。
リビングバイブルの訳は慣用句を正しく訳しています。この箇所は、弟子たちがイエスさまから教会の権威についての教えを受けているところです。現代訳聖書では、この二語をまとめて、「教会がこの地上で行使する権能は、天のお父様からのものです」とヘブル語慣用句をまとめて訳していますが、無難な翻訳だと思います。
            (ダビデ・ビヴィン「イエスはヘブライ語を話したか」より一部引用)