2024年5月25日土曜日

2024年05月26日 第4主日礼拝 知恵の決断

招詞
    主によって、人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。 その人は転んでも、倒れ伏すことはない。主が、その腕を支えておられるからだ。正しい人の口は知恵を語り、その舌は義を告げる。                         詩篇37篇23~24、30節 

聖書箇所
使徒の働き6章1節~7

説教
知恵の決断 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/543 くつ(ナアール)を脱げ

 神は仰せられた。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」                      出エジプト記3章5節

 出エジプト記3章は偉大な神のしもべとして、イスラエルの民をエジプトから救い出したモーセの召命の場面です。モーセが神から召命を受けたのは80歳でした。そのモーセがシナイ山のふもとで不思議な光景を見たのです。その光景とは「燃えているのに燃え尽きない柴」でした。モーセはそこに近づこうとしたとき主の声を聞いたのです。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物(サンダル)を脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
① これは、自分の権利、思いや考え、立場を捨てよという意味です。モーセ は40歳まで、エジプトの王室で王子たちと共に育ち、教育も受けまし た。それらを捨てよ、と主は言われました。
② また、奴隷の立場に立つことを意味します。履き物を履 けるのは自由人のしるしでした。名誉と誇りのしるしで す。奴隷や貧しい者は裸足で歩きました。したがって、 履き物を脱ぐということは、奴隷の立場に自分を置くことを意味します。 神のモーセに対する使命は、エジプトで奴隷となっている同胞を救い出す ことでした。それゆえ、リーダー自身が奴隷と同じ立場に身を置くこと を意味しています。
 2000年前、イエス・キリストは神であるにもかかわらず、そのあり方を捨てられ、ご自分を無にして、仕える者の姿を取って、人間と同じようになられました。この「しもべなるイエス」によって、私たちは罪の奴隷から救い出されたのです。
                    (銘形「ヘブル語のディリーブレッド」から一部引用」

2024年5月18日土曜日

2024年05月19日 第3主日礼拝 聖霊に押し出されて

招詞
 神は、われらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。 それゆえ、われらは恐れない。たといがは変わり、山々が揺れ動いても。たとえその水が立ち騒ぎ、泡立っても、その水かさが増し、山々が揺れ動いても。                     詩篇46篇1~3節

聖書箇所
使徒の働き2章1節~42

説教
聖霊に押し出されて 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/542 七週の祭り② (シャブオット)

 旧約聖書、レビ記 23:15~17によれば、「七週の祭り」では、主への初穂として新しい小麦粉にパン種を入れて焼いたパンを二個ささげなければならないということです。なぜ、パンを二個なのでしょうか。
 律法が、ユダヤ人と異邦人を隔てる壁になっていることをかんがみ、使徒パウロはエペソにいる異邦人クリスチャンに次のように手紙を書きました。
 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。              エペソ 2:14~16
 その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。 エペソ 3:6
二つのパンをユダヤ人と異邦人を象徴するものとみると、シャブオットが、二つのパンが主に捧げられ、受け入れられる日として制定されたのは、時いたって、イエスの十字架で異邦人もまた、父なる神に近づくことができる者となった、ということができます。
                     (銘形「五旬節と聖霊降臨の秘密」より一部引用)

2024年5月11日土曜日

2024年05月12日 第2主日礼拝 ペンテコステ前夜

招詞
 わが神よ。私は、みこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは、私の心のうちにあります。私は大いなる会衆の中で、義を喜び知らます。ご覧ください。私はくちびるを押さえません。主よ。あなたはご存じです。                   詩篇40篇8~10節

聖書箇所
使徒の働き1章3節~26

説教
ペンテコステ前夜 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/541 七週の祭り ①(シャブオット)

 ユダヤ教では「過越の祭り」「七週の祭り」「仮庵の祭り」が三大祭ですが、キリスト教の三大祭は「クリスマス(聖誕祭)」「イースター(復活祭)」「ペンテコステ(聖霊降臨祭)」です。「ペンテコステ」は「クリスマス」や「イースター」に比べると、なぜか最も祭(まつり)性を感じない祝祭日です。「ペンテコステ」は約束の聖霊が注がれて教会が誕生した日にもかかわらず、他の二つの祝祭のように特別に祝われるということはありません。なぜなのでしょう。不思議です。
もうひとつ不思議なことがあります。それは、ユダヤ教では「クリスマス」も「イースター」も共に祝うことはありませんが、「五旬節」の日だけは、キリスト教と同じ日に祝うのです。祝っている内容は異なっているのですが、いつの時代であっても祝 う日(曜日)が同じなのです。しかも一日限 りの祭りです。いったい「七週の祭り」とは何なのでしょう。そもそも「七週の祭り」に秘められた預言的意味があるとす れば、それはいったい何なのでしょうか。次回、シャブオットの預言的な意味 を考えてみます。                 (銘形「シャブオット」から引用)

2024年5月5日日曜日

2024年05月05日 第1主日礼 信仰のみ

招詞
 わが神主よ、なんと多いことでしょう。あなたがなさった奇しいみわざと私たちへの計らいは。あなたに並ぶものはありません。語ろうとしても告げようとしてもおそれはあまりにも多くて数えきれません。                               詩篇40篇5節

聖書箇所
ピレモンへの手紙10節~13

説教
信仰のみ 佐藤弘司牧師(DVD説教)

言(こと)ローグ/540 詩篇77篇の4つの瞑想語 ④ハーシャブ(思い返す)

 夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私の霊は探り求めます。  詩篇77篇6節

 この節のリビングバイブル訳は、「あのころは、夜になると 喜びの歌が自然に口から出てきました。この、たましいのあまりにも大きな変わりようは、どうしたことでしょう。」です。
 詩篇77篇にある四つの瞑想語(    meditation)の一番目は、ヘブル語で、①ザーハル(思い出す)、二番目は、スィーアッハで、「思いを詰める」で、三番目は、ハーガー(思いを巡らす)でした。今回が最終回です。

 ハーシャブは、自分を吟味しながら、自分の思いや行いを反省する行為です。自分を客観的に見ています。霊性の回復の転換点です。6節は、リビングバイブル訳のように(遠い)昔の生き生きとして、あるいは嬉々として信仰生活をしていたころを振り返り、自分自身にため息をしている言葉です。10節には、ため息が主への疑いにつながる危険な状態が見て取れます。しかし、感謝なことに12節で信仰の回復の兆しをみることができます。11節は、(しかし)を挿入して読むとよく理解できます。ここから信仰は回復していきます。事実、原語のヘブル語には、ヴァー(しかし)があります。

(しかし)私は主のみわざを思い起こします。ーーーーー11節

 癌細胞は、1日で体の中で生まれ、ほとんどはその日のうちに死滅するとは医師の言(ことば)です。つまり、いくつかは生き残り、人をむしばみはじめます。サタンの攻撃は、心と霊を攻撃します。巧妙で、失望落胆の心に疑いの種を蒔く名人です。主の恵みをハーシャブし(思い起こし)、主に顔を向けましょう。恵みの雨を思い出しましょう。賛美の歌を口ずさみましょう。疑いの種を芽生えさせないように。

 以上、詩篇77篇の4つのデボーション用語を詳しくみました。
                         (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2024年4月28日日曜日

2024年04月28日 第4主日礼拝 聖書のみ

招詞
 主はこの口に授けてくださった、新しい歌を。私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ、主に信頼するだろう。幸いなことよ。主に信頼を置き、高ぶる者や、偽りに傾く者たちのほうを向かない人。                               詩篇40篇3~4節

聖書箇所
イザヤ書3章20節~21

説教
聖書のみ 金田与施夫牧師(DVD説教)

言(こと)ローグ/538 詩篇77篇の四つの瞑想語 ③ハーガー(思いを巡らす)

 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、 あなたのみわざを、静かに考えよう。 
                                    詩篇77篇12節

 詩篇77篇にある四つの瞑想語(meditation)の一番目は、ヘブル語で、①ザーハル(思い出す)、2番目は、スィーアッハで、「思いを潜める」でした。三番目は、ハーガー(思いを巡らす)です。
ハーガーは、昼も夜も、神のみわざや神のことばを継続的に思い巡らすことによって、思考を深め、熟成させる行為です。ほとんどの人性の問題やチャレンジは一過性ではありませんから、ハーガーすることで常に主に頼り、その副産物として信仰もより深められえていくと思います。
77篇は、作者不詳ですが、熟年のダビデの歌143篇と酷似しています。

 私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。                         詩篇143篇5節

 ダビデは、勇敢で正直者でしたが、サウル王の娘との結婚生活は破綻していました。イスラエルの王になってからは、バテシェバ醜聞を起こし、民の信頼を失いかけました。預言者ナータンの諫言(かんげん)で悔い改め立ち直ります。しかし、最大の試練は、愛息アブシャロムが自分を裏切り、クーデター未遂事件でダビデの命を奪おうとしてことでした。
詩1篇2節の「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。」もハーガーが使われていますが、以下のリビングバイブル訳は、ハーガーの深意を反映していると思います。
その人は、 主がお望みになることを何でも喜こんで行ない、 いつも、主の教えを思い巡めぐらしては、 もっと主のみそばを歩もうと考がえます。 リビングバイブル
次回は、④ハーシャブ(思い返す)です。      (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2024年4月21日日曜日

2024年04月21日 第3主日礼拝 恵みのみ

招詞
 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。                     詩篇38篇18,20~21節

聖書箇所
エペソ人への手紙2章8節~9

説教
恵みのみ 銭谷幸器牧師(DVD説教)

言(こと)ローグ/538 詩篇77篇の四つの瞑想語 ②スィーアッハ(思いを潜める)

 2苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。 3私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。 
                                   詩篇77篇2~3節

 詩篇77篇にある四つの瞑想語(meditation)の一番目は、ヘブル語で、①ザーハル(思い出す)でした。
 次の2番目は、スィーアッハで、「思いを潜める」です。苦難の時もじたばたしないで、座って、心を静めて、自分の心としっかり向き合う態度です。これは言うは易し行いは難しです。なぜなら、それは時には呻きや苦痛を伴う行為になります。
 10節では失望・落胆に疲れた筆者がついに、「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」 と主への不信を抱いてしまいそうになっています。しかし、読者は、次の11~12節で大きな安心を得て救われる気持ちになります。
 11節: 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。 12節 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
 デボーションという言葉があり、静思の時という意味です。KGK(キリスト者学生会)では、主事さんが、口を酸っぱくして「このエボ―ションを守りなさい、主とあなただけの時を守りなさい。それは、他人と関わる奉仕活動よりずっと大切です。これが、あなたが癖になるまで続けなさい」と指導されました。楽なことは、続けやすいですが、静思の時を身に着くまで続けるのは自己鍛錬が必要でしょう。決心して始めませんか?
 次回は、③ハーガー(思いめぐらす)です。    (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2024年4月14日日曜日

2024年04月14日 第2主日礼拝 見ないで信じる人たちは 幸いです

招詞
 全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。
                                  詩篇100篇1~3 節

聖書箇所
ヨハネの福音書20章19節~20

説教
見ないで信じる人たちは幸いです 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/537 77篇の四つの瞑想語 ①ザーハル

 私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。 苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。  詩篇77篇1b~3節

 詩篇77篇には、四つの瞑想語(meditation)があります。ヘブル語で、①ザーハル、②スィーアッハ、③ハーガー、そして④ハーシャヴです。瞑想語とは「深く思索することば」の意味です。 ① ザーハルは、昔のことを一つひとつ思い出すという意味で、上記3節に使われています。記憶をたどりながら、心に呼び起こす行為です。新共同訳では、「思い続ける」、文語訳は「思い出流る」と訳されていいます。 一節には、神さまに声をあげて叫ぶと神は必ず聞いてくださるという確信が歌われますが、人生の苦難の日には、夜昼祈り求めても手ごたえが感じられずに、自分の霊は衰えしぼむ経験を歌っています。ザーハルは、「神の良くしてくださったことを数えよ、何一つ忘れるな」(103篇2節)という信仰体験を思い起こし、自分を元気づけようとすることばです。 苦難の嵐に会うと、神さまは自分を忘れたのではないか、祈り続けても無駄ではないか、などとぼやきたくなります。それは、不信の罪です。まず、身に起きた事実を見ましょう。自分は、イエスさまを信じて、永遠の死を逃れて救いを得ました。さらに永遠のいのちをいただいています。だから今を生きるための力を心と身に帯びています。生ける望みを与えていただいて今日も前に進むことができます。 次回は、②スィーアッハです。      (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2024年4月7日日曜日

2024年04月07日 第1主日礼拝 二人の弟子も

招詞
 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。                          ローマ人への手紙12章1節

聖書箇所
ルカの福音書24章13節~43

説教
二人の弟子も 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/536 二つの現在命令


 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。                ローマ人への手紙12章2節


 2節には二つの命令形があります。一つは「調子を合わせるな」と、もう一つは「(心を新たにすることで)変えていただきなさい。」で、どちらも現在命令形です。ギリシャ語の現在命令形は、常に・・し続けなさいという継続命令です。新改訳2017は「心を新たにすることで、自分を」とありますが、ここでの「心」とは、心情や感情のことではないので注意しましょう。ギリシア語の心(ヌース)も、ヘブル語訳の心(レーヴ)も、知性や考え、思考を意味します。つまり、「心を新たにする」とは感情だけでなく、思考の座標軸を神さま中心に移すことを意味します。変動する時代精神によってみことばを解釈せず、本来の神の概念をもって解釈する(受け取る)ことを自分に課すことです。前節の12章1節(招詞)とともに、自分力でなく、イエスさまに頼り、ご聖霊の助けで成しうることですね。       (銘形「ハヌカー」の今日的意味より一部引用)