2026年3月2日月曜日

2026年03月01日 第1主日礼拝 ゲッセマネの祈り

招詞
 ハレルヤ。主のしもべたちよ、ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえまで、主の御名がほめられるように。日の昇るところから沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。                                 詩篇113篇1~3節

聖書箇所
マルコの福音書14章32~42節

説教
ゲッセマネの祈り 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/632 最後の一週間 ③ハレル(ヤ)詩篇

 そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。
                              マタイの福音書 26章30節

 詩篇113~118篇までの六篇は「ハレル詩篇」と呼ばれ、過ぎ越しの祭りを含むユダヤ人の三大祭りの時に歌われてきた詩篇です。例えば、過越の祭りには、その食事の前に113篇と114篇が歌われ、食後に115篇から118篇までが歌われます。上記の賛美の歌とは詩篇115~118篇の朗誦です。「彼らは」とあるのは、イエスさまと弟子たちが一緒に歌ったのです。
 ハレル詩篇の概要は、113 神のへりくだり、114 贖いの力、115 神対偶像、116 聖徒の死、117異邦人の賛美、118メシヤの凱旋の様です。
 詩篇118:22-23は、「家を建てる者たちの捨てた石、それが要(礎)の石になった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。」です。イエス様がエルサレムに入って、ユダヤ人の宗教指導者らと議論された時、この言葉が成就すると言われました。ユダヤ人指導者らがこれからメシヤを殺すたとえを、ぶどう園の農夫を使って話された後に、この詩篇118篇の箇所を引用されました。神の家を建て上げるはずの宗教指導者らが、かえってイエス様を捨ててしまった。けれども、そのイエス様がメシヤであった、という預言です。教会の礎の石となられたイエス様を主と信じて救われた私たちは幸いですね。            (ロゴス「ハレル詩篇」より一部引用)

2026年2月22日日曜日

2026年02月22日 第4主日礼拝 洗足の教え

招詞
 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。              詩篇62篇1~2節

聖書箇所
ヨハネの福音書13章1~17節

説教
洗足の教え 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/631 最後の一週間 いちじくの 木 からのたとえ

 弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わりのしるしは、どのようなものですか。」 
                                マタイの福音書24章3節

 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が、戸口まで近づいていることを知りなさい。    マタイの福音書24章32~33節(マルコ 13:28、ルカ 21:29)
 夏を知るには、いちじくの枝や葉を見れば分かります。そのように、キリストの再臨の時期を知るにはこの箇所の前に語られた諸々の現象を見るべきである、とイエスは語ります。
 後半の節は3節に対する答えの要約のようなもので、3節の 「そのようなこと」だけでなく、4~31節に示されたそのほかの、「これらのこと、すべて」が起れば、それは「キリストの再臨と世の終末の兆」であると言われました。ただし、その「時期」については、誰もこれを知ることができない(36節)、とイエスは述べられ、それが、初めの弟子たちの質問への答えだと言われたのです。
 聖書を良く読み、世界の今を見ることで、時を見る目、洞察は常に養っておかなければなりませんね。今、与えられている猶予(あわれみ)の中で神の国の福音を宣べ伝えながら、神の国の完成を仰ぎ待ち望みたいと思います。            (黒崎「イエスの再臨の前兆」より一部引用)
 

2026年2月15日日曜日

2026年02月15日 第3主日礼拝 柔和な者の幸い

招詞
 神よ、あなたへの誓いは私の上にあります。感謝のいけにえで、あなたにそれを果たします。まことに、あなたは救い出してくださいました。私のいのちを死から。私の足をつまずきから。私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むために。          詩篇56篇12~13節

聖書箇所
マタイの福音書5章5節
コロサイ人への手紙3章12~13節

説教
柔和な者の幸い 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/630 最後の一週間 祈りの家で

 それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
                            マタイの福音書21章12~13節

 上記、「祈りの家」とは教会のことではありません。イザヤ書56章によれば、これは「メシア王国における神殿」のことです。神と人とがともに住む神殿は、メシア王国においては「祈りの家」と呼ばれるのです。その「祈りの家」のことを、イエスは「わたしの父の家」、「わたしの家(イザヤ56:7)」と言っているのです。
 このイザヤ書の預言は、メシア王国における異邦人たちに対するもので教会が携挙されたのちに救われる異邦人(非ユダヤ人すべて)に対する預言であり、彼らを「わたしの聖なる山」、すなわち、エルサレムに連れて来て、「わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」という預言です。にもかかわらず、当時の祭司たちは私利私欲のために「神殿を強盗の巣にした」のです。ほどなく神の裁きが下りました。紀元70年9月7日、ローマ軍によりエルサレムは攻略され、神殿は基礎まで徹底的に破壊されました。イエスはこの裁きを知っていて涙を流されたのでした。
 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、お前の子らを集めようとしたことか。それなのに、お前たちはそれを望まなかった。(ルカ13:34)。      (銘形「祈りの家」の意味から一部引用)

2026年2月6日金曜日

2026年02月08日 第2主日礼拝 悲しむ人のこれから

招詞
  主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。主の聖なる山、私たちの神の都で。 
                                     詩篇48篇1節

聖書箇所
マタイの福音書5章3~4節

説教
悲しむ人のこれから 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/629 受難節(レント)と棕櫚の日

 その翌日、(過ぎ越しの)祭りに来ていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」            ヨハネの福音書12章12~13節
(*これまでの訳「しゅろの木の枝」は、新改訳2017では「なつめ椰子の枝」となってます。)

 教会は、イースター前日の土曜日から逆算して46日目、日曜を除けば40日間を受難節と呼んで、イエス様の十字架と復活の季節に心備えをしてきました。今年は、4月5日がイースターですから、46日前は、2月18日です。

 イエス様が十字架にかかられた一週間前は特筆すべきなことが起こり、福音書に記されていますので4つの福音書の最後の部分を読み比べながら受難節を過ごしてみてはいかがでしょうか。

 その中で、上記にあるように、イエス様がロバに乗ってエルサレムに入城したエピソードを記念する「棕櫚の日(Palm Sunday)」は世界中の教会で祝われ、子供も参加できる楽しい礼拝です。この木が育たない緯度の高い地域では他の枝を持ち寄り教会に集まります。私たち家族も1999年に一時ダーウィンに滞在した折、出席教会で受難節とイースターをお祝いしたことがありますが、この日曜日を祝いました。

 もちろん、イエス様は終わりの時に栄光の姿で再臨なさり、エルサレムに帰って来られますが、それまでにサタンと悪霊たち、それにサタンに取り込まれた人たちが世界に挑みます。しかし、主の勝利は定まっています。

2026年2月1日日曜日

2026年02月01日 第1主日礼拝 狭い門から入りなさい

招詞
  すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をもって、神に大声で叫べ。まことに、いと高き方主は恐るべき方。全地を治める、大いなる王。               詩篇47篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書7章13~14節

説教
狭い門から入りなさい 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/628 ハッピーと祝福

 幸いなことよ、そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。 幸いなことよ、主が咎をお認めにならず、その霊に欺きのない人は。                     詩篇32篇1~2節

 ダビデの詩(うた)です。幸いな人は「祝福された人」の訳語です。直訳は、「そのそむき赦された人、罪を覆われた人は祝福された人」です。
ダビデの気持ちを考えると、感情的な幸せ(ハッピー)よりも深いところの喜びが伝わってきますね。主に愛され、罪赦された者の喜びを「祝福されている」という思いとともにダビデと共有できますね。
 さて、次のローマ教会へのチャレンジは、他者との関係の祝福です。
「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちともに泣きなさい。互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵ある者と考えてはいけません。 だれに対しても、悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。」 
                           ローマ人への手紙12章14~17節
「無理ですよ!」と叫びたくなりますが、これが神様の設定値です。全部、願い下げしますか?
 パウロは、この言葉を実行した人だと思います。そして、ローマ教会のクリスチャンたちにチェレンジしました。私たちはどうでしょうか? 「呪いの思いと言葉をやめる、人のために泣く、高ぶりを捨てる、人を優れていると思う」など、ご聖霊の力を頂ければ、まだまだ私たちにも伸びしろはあるように思いますが、いかがでしょうか?

2026年1月25日日曜日

2026年01月25日 第4主日礼拝 岩の上に家を建てる人

招詞
 神は、われらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。それゆえ、われらは恐れない。たとえ地は変わり、山々が揺れ、海のただ中に移るとも。       詩篇46篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書5章17節、7章24~27節

説教
岩の上に家を建てる人 田口勇新牧師


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言(こと)ローグ/627 幸いな人々 ② み国における現在形と未来形

 
図を観察すると、第一の幸いと第八の幸いの理由を示す動詞が現在形であること。そしてそれに囲まれるようにして他の幸いの理由を示す動詞が未来形であることが分かります。これは、「天の御国が近づいた」という福音における「すでに今」と「いまだ」との緊張関係を如実に表しています。すでに今手にできる幸いな現実と、やがて時が来た時に手にできる完全な幸いの約束です。この時制を知るだけでも、ここで語られている幸いとは、叱咤激励したり、私たちの努力で実現できたりするものではないことがわかります。天の御国はすでに近づいています(到着しています)が、その御国の祝福の実現は将来において確実に約束されているのです。イエスを信頼し、約束を信じて、焦らず、心穏やかにみ国の到来を待ち望みつつ現在を進みましょう。 (銘形「幸いな人々」から一部引用)

2026年1月18日日曜日

2026年01月18日 第3主日礼拝 主イエスの友 洗礼者ヨハネ

招詞
  幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。わざわいの日に、主はその人を助け出される。主は彼を見守り、彼を生かし、地上で幸せな者とされる。          詩篇41篇1~2a節

聖書箇所
マタイの福音書3章1、2~5節
ヨハネの福音書2章42~52節、3章11節

説教
主イエスの友  洗礼者ヨハネ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/626 み国における幸いな人々 ①

 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。    マタイの福音書5章1、10節

 山上の説教によれば、天の御国の幸いは、八つの面をもっています。天の御国はどのような人々によって成り立っているのでしょうか。それは「幸いな人々」によってです。「八つの幸い」は天の御国に住む人々の特権的幸いです。八つの中のどれかがあればそれで良いということではなく、天の御国に住む人々は八つのすべての面をもっているです。いくつかがあればそれで幸いということではなく、八つのすべての面をもっている人々です。つまり、それは八つで一つなのです。左の図はそのことを表しています。天の御国とは、八つの幸いのすべての面を持った民によって成り立っている神の支配(王国)なのです。              (銘形「幸いな人々」から一部引用)

2026年1月11日日曜日

2026年01月11日 第2主日礼拝 イエスの二泊三日

招詞
 私は切に、主を待ち望んだ。主に耳を傾け、助けを求める叫びを聞いてくださった。滅びの穴から、泥沼から、主は私を引き上げてくださった。私の足を巌(いわお)に立たせ、私の歩みを確かにされた。 主はこの口授けてくださった。新しい歌を、私たちの神への賛美を。 
                                   詩篇40篇1~3節

聖書箇所
ルカの福音書2章41~52節

説教
イエスの二泊三日 田口勇新牧師



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言(こと)ローグ/625 樹木の新年

 幸いなことよ。主を恐れ、主の道を歩むすべての人は。 あなたがその手で労下実りを食べること、それはあなたの幸い、あなたへの恵み。 あなたの妻は、家の奥で、たわわに実るぶどうの木のようだ。 あなたの子どもたちは、食卓を囲むとき、まるでオリーブの若木のようだ。
                                  詩篇128篇1~3節

 ユダヤ暦でシュバット月(11番目の月)の15日目を意味するトゥ・ビ・シュバットは「樹木の新年」を祝う日です。西暦では毎年1月頃に当たり、イスラエルのこの時期は雨季。木々が芽吹き、花が咲き始め、新しい一年のサイクルが始まる時期でもあります。トゥ・ビ・シュバットは、この自然界における新生をお祝いする日で、ドライフルーツやナッツ類を食べる習慣があり、植樹などの活動も盛んに行われます。
 主を畏れ、主の道を歩む者の幸いを(ドライ)フルーツを食べながら噛みしめるとは、すてきなアイデアですね。