2021年9月18日土曜日

2021年09月19日 第3主日礼拝 エサウとヤコブの誕生

招詞
 主は、へりくだる者を支え、悪人を地に投げ捨てられる。主に感謝の歌を歌い、立琴に合せて、神をほめ歌おう。                          詩篇147篇6~7節

聖書箇所
創世記25章19節~34節

説教
エサウとヤコブの誕生 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/405 ミズモール(賛歌)②
 正しい者たち。主を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。立琴にあわせて主に感謝せよ。十弦の琴に合わせて、ほめ歌を歌え。               詩篇33篇1~2節

 ルターは、楽器を使って神さまを賛美することを奨励し、民衆が教会で歌えるように、母語ドイツ語で賛美する曲を作り、ダビデのビジョンを復活させようとしました。しかし、カトリック教会だけでなく、ルター派以外のプロテスタント教会の中にも偏見と抵抗がありました。教会はオルガンのみを神を賛美する楽器として認め、ルターが好んだリュートなどの弦楽器や後のピアノ、その他の楽器はサタンに属するものとみなしてきました。
 しかし現代の教会は、ダビデが目指した礼拝のように、特に、詩篇を用いた賛美歌(ミズモール)に目を留めるようになり、あらゆる楽器を用いて主を賛美するようになってきています。ダビデは、3000年も前に、祭司たちとは別にコラやアサフなど音楽の賜物のある人材を礼拝音楽に起用して、竪琴やタンバリンなどを用いて礼拝を民の喜びあふれる賛美に包まれたものと変えることに成功しました。同じように、現代の私たちの教会はもっと多くの有能な賛美を担う器たちが、多様な音楽ジャンルから起こされるように祈らなければなりません。ダビデがしたように、神をほめ歌う音楽をサタンの手から「奪還(だっかん)」しなければならないのです。                       (銘形「ヘブル語のキーワード」から一部引用)

2021年9月10日金曜日

2021年09月12日 第2主日礼拝 イサクとリベカ ②

招詞
 ハレルヤ。まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包まれる。          詩篇147篇1、3節

聖書箇所
創世記24章33節~67節

説教
イサクとリベカ ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/404 ミズモール(賛歌)①
 ダビデの賛歌(ミズモール・レダヴィド)
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。                              詩篇23篇1~2節

 「ミズモール」とは「楽器を伴う神への賛美」を意味します。礼拝において音楽を導入したのはダビデが最初でした。ダビデが王となってから最初にしたことは、神の契約の箱をギルヤテ・エアリムからエルサレムに運び移すことでした。そのときダビデはレビ人たちを集めて、彼らに楽器をもって神への賛美を歌うように命じました(第一歴代誌15章)。
ミズモールの動詞形ザーマルは、様々な楽器をもって主に歌い、賛美するという意味です。音楽はそれまで戦いのために、あるいは戦勝の祝い(勝利の凱旋)のために用いられていましたが、ダビデは神を礼拝するために初めて音楽(歌、および様々な楽器)を用いたのです。これは礼拝の歴史において革命的なことだったのです。
これを引き継いで、礼拝にミズモールを復活させたのは、ルターでした。当時のローマカトリック教会は、9世紀からグレゴリア聖歌を公式な聖歌として、ミサや修道院の聖務日課でラテン語だけで、聖歌隊によってのみ歌うことに決めました。楽器を禁じ、各地固有の聖歌も禁じました。しかしこれに対して、ルターは、楽器を使って歌うことを奨励し、民衆が教会で歌えるように、母語ドイツ語で賛美する曲を作り、ダビデのビジョンを復活させようとしました。ところがこれにはプロテスタント教会の中でも抵抗がありました。(つづく)
                      銘形「ヘブル語のキーワード」から一部引用)

2021年9月5日日曜日

2021年09月05日 第1主日礼拝 イサクとリベカ①

招詞
 幸いなことよヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く人、主は天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方。とこしえまでも真実を守り、虐げられている者のためにさばきを行い、飢えている者にパンを与える方。               詩篇146篇5~7節

聖書箇所
創世記24章1節~34

説教
イサクとリベカ① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/403 新しい歌(シール・ハダッシュ)
 聖書の中には「新しい歌を主に歌え」という命令が多く記述されています。詩篇33篇3節、40篇4節、96篇1節、98篇1節、144篇9節、149篇1節、イザヤ42篇10節、黙示録5章9節、14章3節の9回です。神の民である教会は、その最初から歌う共同体でした。賛美なしの礼拝は考えられません。キリスト教会はこの伝統をイスラエル人の礼拝から受け継ぎました。
12あるといわれる「新しい歌」の定義のうち、5つを紹介します。
①「新しい歌」とは、その時代時代に生まれて歌われた歌のこと。
②「新しい歌」とは、新作の歌ではなく、神への救いの驚き、感謝、感動を新たな思い出歌う歌のこと。
③「新しい歌」とは、その都度、その都度、神から与えられる歌のこと。
④「新しい歌」とは、主に贖われた者(救われた者)にしか歌えない歌(賛美)のこと。
⑤「新しい歌」とは、絶えず心をリニューアルされ、新しい気持ちで歌う歌のこと。
今年のクリスマスコンサートでも「新しい歌」が歌われます。期待しながら、クワイヤのために祈りましょう。                (銘形「ヘブル語のキーワード」から一部引用)

2021年8月28日土曜日

2021年08月29日 第5主日礼拝 サラの死に泣いたアブラハム

招詞
 わがたましいよ主をほめたたえよ。私は生きているかぎり主をほめたたえる。いのちのあるかぎり私の神にほめ歌を歌う。                      詩篇146篇1~2節

聖書箇所
創世記23章1節~20節

説教
サラの死に泣いたアブラハム 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/402 隠れ場(セーテル)
 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、 救いの歓声で私を囲んでくださいます。
                                     詩篇37編2節

 詩篇の中に「あなたは、私の隠れ場」(32:7、119:114)という信仰告白があります。この信仰告白はどのような告白であり、またその告白はそれを告白するものにとってどのような霊性をもたらしたのでしょうか。
「隠れ場」というキーワードは、それが今日のキリスト者にとって、再度、見直さなければならない内容を持っています。上掲の詩篇におけるダビデも、預言者エリヤも、そしてイエス・キリストも使徒パウロもみな「隠れ場」を知っていました。なぜなら隠れ場は「主の臨在されるところ」だったからです。神の「隠れ場」に身を避け、そこに住み(とどまり)、神のみことばを待ち望むことで力を得たのです。私たちも隠れ場に身を避け、主のご臨在に触れる機会を持ちましょう。
                        (銘形「ヘブル語のキーワード」から引用)

2021年8月21日土曜日

2021年08月22日 第4主日礼拝 アブラハムの大試練

招詞
 主はご自分のすべての道において正しくそのすべてのみわざにおいて恵み深い方。主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられます。
                                詩篇145篇17~18節

聖書箇所
創世記22章1節~19節

説教
アブラハムの大試練 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/401 ヘブル語動詞の強意形
 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
                                 創世記2章16~17節

 ヘブル語動詞には、意味を強調する強意形があり、聖書の深読みを助けます。聖書ではそのニュアンスを伝えるために、工夫した訳をみることができます。例えば、上記、「必ず死ぬ」と言われた箇所は原文では「死ぬ・あなたは死ぬ(モート・ターモート)」です。アダムとエバは、強い禁止を言い渡されたのに、サタンの前では、二人の不注意な対応でまんまと取りこまれてしまい、重大な罪を犯しました。
 他の例として、創世記43章7節で、ユダが父ヤコブに「あの方が私たちや家族のことについて、『おまえたちの父はまだ生きているのか。おまえたちには弟がいるのか』としきりに尋ねるので、問われるままに言ってしまったのです。」と言う箇所がありますが、この「しきりに尋ねて」と訳されているところが、原文では「尋ね・尋ねて(シャオール・シャーアル)」です。強調形で、ユダの後悔の念を読者に伝えています。     (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2021年8月15日日曜日

2021年08月15日 第3主日礼拝 ロトが失ったもの

招詞
 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることもできません。代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い、あなたの大能のわざを告げ知らせます。 詩篇篇45篇3~4節

聖書箇所
創世記19章1節~38節

説教
ロトが失ったもの 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/400 時のしるし
 パリサイ人たちやサドカイ人たちが、イエスを試そうと近づいて来て、天からのしるしを見せてほしいと求めた。イエスは彼らに答えられた。「夕方になると、あなたがたは『夕焼けだから晴れる』と言い、朝には『朝焼けでどんよりしているから、今日は荒れ模様だ』と言います。空模様を見分けることを知っていながら、時のしるしを見分けることはできないのですか。
                              マタイの福音書16章1~3節

 これは、「天からのしるし」について、パリサイ人たちへのイエスさまの挑戦のことばです。彼らが目にしている天に関する「天候」について話を切り出し、空模様によって天気を予測するという「天のしるし」は理解するのに、神にかかわる「天のしるし」には全く理解がないことを責めています。預言者の言葉通り、時が満ちてこられた救い主イエスさまを認めることができなかった霊的な盲目を責めます。私たちも毎日天気予報を聞き、行動していますが、信仰の目でこの世界をみる目は養われているでしょうか。
ところで、ミッション・エメットは、十字架福音キリスト教会が立ち上げたYoutubeのサイトです。一般に知られていない聖書の真実の姿を、分かりやすく伝えたいと、「現代文明の終焉」「バベルの塔の秘密」など全23編を見ることができます。興味のある方はご視聴ください。エメットとは「真実」の意味のヘブル語で、右は、一回目の「現代文明の終焉(9分)」のQRコードで下は、そのURLです。
https://www.youtube.com/watch?v=bExjTT1kOwA

2021年8月7日土曜日

2021年08月08日 第2主日礼拝 イシュマエル との別れ

招詞
 私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。   詩篇145篇1~2節

聖書箇所
創世記21章8節~21節

説教
イシュマエルとの別れ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/399 「赦す」と「禁ずる」②
 「ヨナの子シモン。あなたは幸いです。。。あなたは堅い石のペテロです。わたしは、本当に堅い石であるわたしの上に自分の教会を建てます。悪魔の力もこれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天国の権能を委ねます。あなたがこの地上の教会で行使する権能は天のお父様からのものです。」                マタイの福音書16章17~19節 (現代訳)

 デオー(赦す)とリュオー(禁ずる)の続きです。イエスさまは、実は16章ですでに教会の権能としてデオー(赦すこと)とリュオー(禁ずること)をペテロたちに教えていました。18章でイエスさまは、「赦す」と「禁ずる」が、ペテロに個人的に与えられた権能でないことを確認する意味で弟子たちに語られました。
 ところが、この箇所をローマカトリック教会(以下RCと略述)は、ペテロに賦与された個人的な権威としてペテロと後継者の教皇権を主張する根拠にし、ローマ教会を最優位と決めてしまいました。しかし、ルターは、16世紀の宗教改革の時、聖書の教えに反するとして教皇権とローマ教会の優位性をはっきりと否定しました。命がけの行為でしたが、ドイツを始め北欧諸国がRCから離脱しプロテスタント教会の始まりです。地上のすべての教会の繋がりを一つと考えて普遍的教会(ユニバーサル・チャーチ)と言いイエスさまは全教会の頭です。しかし、この普遍的教会は、RCの意味ではありません。私たちは、普遍的な「キリスト教会」という目に見えない旗を世界に掲げていますが、同時に、地域の教会(ローカル・チャーチ)として目に見える旗を盛岡市に掲げています。