2026年6月14日日曜日

2026年06月14日 第二主日礼拝 ピリポ、散らされて

招詞
 あなたのさとしは奇しくそれゆえ私のたましいはそれに目を留めます。みことばの戸が開くと光が差し浅はかな者に悟りを与えます。私は口を大きく開けてあえぎます。まことに私はあなたの仰せを慕います。                       詩篇119篇129~131節

聖書箇所
使徒の働き8章1~25節

説教
ピリポ、散らされて 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/646 謙遜 ⑧ 回復の刻印

 みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。                                ペテロの手紙第一 3章8節

 前回、キリストの謙遜は私たちの救いです。キリストの救いは私たちの謙遜です。と書きました。
 それですから、私たち救われた者たちの生活には、罪から解放され、神との関係と人との関係のすみずみにまで謙遜が浸透している本来のありさまを十二分に回復したという刻印がぜひとも押されなければなりません。このことを差し置いて、神の臨在に本当の意味でとどまることや、神の恵みや御霊の力を経験することはありえませんし、信仰や愛や喜びや強さがやどることはありません。謙遜は、恵みが根をはる唯一の土壌なのです。どんな敗北も失敗も、謙遜が欠けているならそのことが十分な説明となります。謙遜は他の恵みや徳と同列に並べられるものではありません。それはすべての根です。なぜなら、それだけが神の御前に正しい態度をとり、神が神としてあらゆることをなさるのを妨げないからです。
 神は私たちを理性的な存在に造ってくださったので、私たちはある命令についてその本質を洞察し、その命令の絶対的な必要性を真に理解すればするほど、ますます自ら進んで、心から従うようになります。残念なことに、教会のなかで謙遜への召しがあまりにも軽く見られてきました。というのも、その本質と重要性が理解されてこなかったからです。謙遜は私たちが神に捧げるものではなく、神が与えてくださるものです。
          (アンドリュー・マーレー「謙遜」より。次回は「⑨ 明け渡すもの」です。)

2026年6月6日土曜日

2026年06月07日 第一主日礼拝 聖霊に満たされたステパノ

招詞
 私の目はあなたの救いとあなたの義のみことばを慕って絶え入るばかりです。あなたの恵みによってあなたのしもべを取り扱ってください。私にあなたのおきてを教えてください。
                              詩篇119篇123~124節

聖書箇所
使徒の働き7章55~60節

説教
聖霊に満たされたステパノ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/645 謙遜 ⑦ 謙遜の回復

 謙遜の限りを尽くして外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。 
                               コロサイ人への手紙4章5節

 したがって、私たちの贖いとは、堕罪によって失われた謙遜を回復すること、被造物の神に対する本来的なただ一つの真実な関係を回復すること以外の何ものでもありません。ですからイエスが来られた目的は、地上に謙遜を取り戻すため、私たちを謙遜にあずからせるため、それによって私たちを救うためです。天においてイエスはご自分を低くされて人間となられました。私たちがキリストの内に見ている謙遜が、天においてはキリストを保っていました。謙遜がキリストを天から下らせ、キリストが謙遜を天から下らせました。この地上で「ご自分を低くして、死に至るまで従順となられた」のです。キリストの謙遜が彼の死に
徳を与え、それゆえ私たちの贖いとなりました。
 いまやキリストの分け与える救いとはキリストご自身のいのちと死、キリストご自身のご性質と霊、キリストご自身の謙遜を転移させること以下のものではなく、それ以外のものでもありません。キリストご自身の謙遜はキリストの神に対する関係と彼の贖いのわざの、土台であり、根です。イエス・キリストが完全な謙遜の生涯によって、被造物としての人の運命を私たちの代わりに実現してくださいました。
 キリストの謙遜は私たちの救いです。キリストの救いは私たちの謙遜です。 
            (アンドリュー・マーレー「謙遜」より。次回は「⑧回復の刻印」です。)

2026年05月31日 第五主日礼拝 弱者とご聖霊

招詞
 私は、二心のある人たちを憎み、あなたのみおしえを愛します。 あなたは私の隠れ場、私の盾。私はあなたのみことばを待ち望みます。             詩篇119篇113~114節

聖書箇所
使徒の働き6章1~7節

説教
弱者とご聖霊 田口勇新牧師


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言(こと)ローグ/644 謙遜 ⑥謙遜というこころの場所

 みな互いに謙遜を身に着けなさい。                ペテロの手紙第一 5章5節

 神が御力によってひとたび創造したことが真実であるのと同じように、神は瞬間ごとに同じ御力によって被造物を保っておられることも真実です。被造物は存在の起源とはじまりに立ち返らなければならないだけでなく、その起源においていっさいを神をよりどころとしてい
ることを認めなければなりません。すなわち、被造物の主要な関心、その最も崇高な徳、その唯一の幸福は、今から永遠にわたって、それ自身を空の器として捧げることです。神がそのなかに住まい、御力と良きご性質をあらわすことができるからです。
 人の弱点・欠点は、謙遜の欠如に由来します。どんな人でも他者を自分を比べてしまい自分を卑下したり、逆に高ぶりの誘惑が沸き出てきます。悲しい性質です。しかし、神は、創造以来、謙遜なこころの場所を造ってくださっています。神にまったくより頼む謙遜というこ
の場所は、被造物の本来的な性質に由来します。このことを神に感謝し、それと同時に、主のみ力によりこのこころの場所を誘惑から意識的に守りましょう。
 高ぶり、すなわち謙遜の欠如はあらゆる罪と悪の根です。あの堕落天使が不従順に陥って天の光から外の闇へと追放されたのは、独りよがりな自己賞賛を始めたときでした。
      (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「⑦失われた謙遜の回復」について)

2026年5月24日日曜日

2026年05月24日 聖霊降臨日礼拝 ペンテコステと私

招詞
 主よ。どうか、私の心からの賛美を受け入れ、御教えを教えてください。あなたの御教えは、永遠に私の宝です。                   詩篇119篇108、111節 現代訳

聖書箇所
使徒の働き2章32~4節

説教
ペンテコステと私 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/643 謙遜 ⑤ 被造物の栄光

 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。               エペソ人への手紙4章2~3節

 神が宇宙を創造なさったとき、被造物を神の完全性と祝福にあずかる者とし、そうして宇宙のなかに神の愛と知恵と力との栄光をあらわすをあらわすという目的がありました。
 最後に造られた人間について考えましょう。その目的は、神が造られた者たちの内に、また造られた者たちを通して、おのおのが受けられる器の大きさに応じて、神ご自身の良きご性質と栄光を転移(トランスファー)することによって、ご自身をあらわすことでした。
 したがって、この転移は、被造物が自分自身の内に所有できるものを与えることではありません。被造物の側で自由に管理したり使ったりできるような種類のいのちと良き性質を与えることではありません。そうではなく、神が永遠に生きておられ、永遠に存在され、永遠に働いておられる方であって、神がすべてのものをご自分の力あるみことばによって保ち、神の内にすべてのものが存在しているのですから、被造物の神に対する関係は、絶えざる、絶対的な、普遍的な依存という関係しかあり得ないのです。
        (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「謙遜という心の場所」について )

2026年5月17日日曜日

2026年05月17日 第三主日礼拝 起き上がらせて下さるキリスト

招詞
 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。      主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。                     詩篇119篇105、107b節 

聖書箇所
マルコの福音書5章21~24、35~43節

説教
起き上がらせて下さるキリスト 菅孝雄牧師補
説教動画

言(こと)ローグ/642 謙遜④ 恵みが根を張る土壌

  あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。                   マルコの福音書10章43~45節 
     
 弟子たちへのイエスのこの言葉は、私たちに対しても真実です。私たちが、皆に仕える者になっている時、私たち自身がイエスの恵みが根を張る土壌となっています。イエスは、すべての人に仕え、助ける者となることほど天的な神のご性質を現すものはほかにないという、祝福された真理を教えてくださったのです。 忠実なしもべは自分の分をわきまえているので、主人や客の欲するものを給仕することに本当の喜びを見出します。謙遜が罪の意識と比較にならないほど無限に深いものであると知り、またイエスのいのちに参与することであるという事実を受け入れるとき、謙遜こそが本当の高潔さであるという真理を私たちは学び始めるでしょう。また、すべての人のしもべとなることによって謙遜をはっきり示すことは、神のかたちに造られた人間としての私たちの運命を最も高い次元で実現するということもわかるでしょう。 
          (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「被造物の栄光」について) 

2026年5月10日日曜日

2026年05月10日 第二主日礼拝 目を覚まして祈りなさい

招詞
  あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。                          詩篇119篇103~104節

聖書箇所
ローマ人への手紙13章11節
コリント人への手紙15章34節
エペソ人への手紙6章18節

説教
目を覚まして祈りなさい 松本章宏牧師

言(こと)ローグ/641 謙遜③ 高ぶりは謙遜の欠如から
 
 ですから、高ぶり、すなわちこの謙遜の欠如はあらゆる罪と悪の根です。現在の堕落天使が不従順に陥って天の光から外の闇へと追放されたのは、独りよがりな自己賞賛を始めたときでした。それと同じように、へびが私たちの最初の先祖に神のようになりたいと願う高ぶりの毒をささやきかけたとき、彼らも高い地位から現在の人類が沈んでいる悲惨さへと落ちました。天においても地においても、高ぶり、すなわち自分を高めることは、地獄の門であり、地獄の誕生であり、地獄の呪いです。
 したがって、私たちの贖いとは、失われた謙遜を回復すること、被造物の神に対する本来的なただ一つの真実な関係を回復すること以外の何ものでもありません。ですからイエスが来られた目的は、地上に謙遜を取り戻すため、私たちを謙遜にあずからせるため、それによって私たちを救うためです。     (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「恵みが根を張る土壌」について)

2026年5月3日日曜日

2026年05月03日 第一主日礼拝 家に帰らせてくださるキリスト

招詞
 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。 あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。                              詩篇119篇72~73節

聖書箇所
マルコの福音書5章14~20節

説教
家に帰らせてくださるキリスト 菅 孝雄牧師補
https://youtu.be/rypqlum1xgY

言(こと)ローグ/640 謙遜② 自身を空の器として捧げること

 神が御力によってひとたび創造したことが真実であるのと同じように、神は瞬間ごとに同じ御力によって被造物を保っておられることも真実です。被造物は存在の起源とはじまりに立ち返らなければならないだけでなく、その起源においていっさいを神をよりどころとしていることを認めなければなりません。すなわち、被造物の主要な関心、その最も崇高な徳、その唯一の幸福は、今から永遠にわたって、それ自身を空の器として捧げることです。神がそのなかに住まい、御力と良きご性質をあらわすことができるからです。
 神の付与するいのちは一度にすべての者に分配されたのではなく、全能の御力の絶えざる働きかけによって、そのつど、持続的に与えられています。神にまったくより頼む謙遜という場所は、被造物の本来的な性質に由来します。それは、第一の義務であり、被造物の最も崇高な徳であり、すべての徳の根です。     (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は謙遜の欠如について)

2026年4月26日日曜日

2026年04月26日 第四主日礼拝 まことに主はこの場所におられる 

招詞
 主よ。あなたは、みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。  詩篇119篇65~66節

聖書箇所
創世記28章10~22節

説教
まことに主はこの場所におられる 永井創世KGK東北主事

言(こと)ローグ/639 謙遜① 被造物の栄光

 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」                       (黙示録4:10〜11)

 神が宇宙を創造なさったとき、被造物を神の完全性と祝福にあずかる者とし、そうして宇宙のなかに神の愛と知恵と力との栄光をあらわすという一つの目的がありました。神は造られた者たちの内に、また造られた者たちを通して、おのおのが受けられる器の大きさに応じて神ご自身の良きご性質と栄光を転移することによって、ご自身をあらわすことを願われました。
 けれども、この転移は、被造物が自分自身の内に所有できるものを与えることではありません。被造物の側で自由に管理したり使ったりできるような種類のいのちと良き性質を与えることではありません。そうではなく、神が永遠に生きておられ、永遠に存在され、永遠に働いておられる方であって、その方がすべてのものをご自分の力あるみことばによって保ち、その方の内にすべてのものが存在しているのですから、被造物の神に対する関係は、絶えざる、絶対的な、普遍的な依存という関係しかあり得ないのです。次回から栄光の転移について詳しく学びましょう。
                          (アンドリューマーレー「謙遜」より)