2021年3月7日日曜日

2021年03月07日 第1主日礼拝 一つとされる神の民

招詞
 主よ、みことばのとおりに私を強めてください。私から偽りの道を取り除いてください。みおしえをもって私をあわれんでください。私は真実の道を選び取り、あなたの定めを自らの前に置きました。私はあなたのさとしに固くすがります。           詩篇119篇28~31節

聖書箇所
エゼキエル書37章15節~28節

説教
一つとされる神の民 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/378 グリーフ(喪失の悲嘆)
 悲しんでいる者たちに救いがある。なぜなら彼らはなぐさめられるであろうから。
                    マタイの福音書5章4節 (E.シュヴァイツァー訳)

    再びシュヴァイツァー訳です。グリーフとは喪失の意味です。グリーフ・ケアは「喪失の悲嘆へのケア」で、本来は「死別の悲嘆へのケア」だけをさす言葉ではありません。しかし日本では、阪神淡路大震災や東日本大震災の遺族ケアの同義語として“グリーフケア”が使われているようです。
意訳になっていますが、シュヴァイツァー訳では、そのような方々に、神によって「救いが備えられている」ということになります。その救いの内容は、天の御国は彼らのものであり、悲しみは慰められ、謙遜な者たちが地を相続し、義に飢え渇く者たちは満たされるということです。
そうした救いにあずかる者たちはなんと幸いでしょうか。天の御国はこのような救いにすでにあずかった者たちがいるところであり、今生きている者たちにとっては、その救いの約束の中に生かされている者たちのいるところなのです。イエスさまの福音をお伝えしましょう。祈りましょう。 私たちは、愛する子どもたちをマラリヤ、チフス、破傷風などで亡くした沢山のアルネの親御さんを知っていますが、涙ながらに神様の愛で強くされ、天国で再会する希望を持って生きています。以下アルネ語訳です。
「悲しんでいる人たちには、神が彼らの心に喜びを下さる。なぜなら、やがて神ご自身が彼らの心を強くしてくださるから。」
※「心を強くする」はアルネ語では勇気や励ましや慰めが含まれています。

2021年2月28日日曜日

2021年02月28日 第4主日礼拝 干からびた骨が生き返る

招詞
 主よあなたはほむべき方。私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。私は地上では旅人です。
                            詩篇119篇 12a、18~19節

聖書箇所
エゼキエル書37章1節~14節

説教
干からびた骨が生き返る 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/377 8つの幸い ② あわれみ深い
 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。 マタイの福音書5章7節

 8つの幸いな者たちの後半は、「あわれみ深い者たち」から始まります。「憐れみ深い」は、動詞形を数えると新約聖書で29回使用されている重要語で、ヘブル語の「ラーハム」に起源があります。 主はモーセの前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「主、主は、あわれみ深く(ラーハム)、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。」(出エジプト34:6~7) イエスは「あわれみ深い者たち」は、やがて「あわれみを受ける」と約束されました。上記、マタイ5章7節は、この約束を背景にしたものと言えるでしょう。人を赦すことはチャレンジで心の痛みを伴いますが、他者に対する「あわれみ」の心は、私たちが神からどれほどの赦しが与えられたかを計るバロメーターでもあります。5週間後の4月4日は、復活節(イースター)です。私たちの主イエスが憐みの心を惜しまないで、十字架にかかられたことを思い起こす良い時期です。憐みの主イエスに思いを向けましょう 。 
                        (銘形「マタイの福音書の瞑想」より引用)

2021年2月20日土曜日

2021年02月21日 第3主日礼拝 新しい心に新しい霊

招詞
 私は、あなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しんでいます。私はあなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。                 詩篇119篇14~15節

聖書箇所
エゼキエル書36章1節~38節

説教
新しい心に新しい霊 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/376 8つの幸い ➀
 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。     マタイの福音書5章8節

 前回の続きです。イエスと共に「神の悲しみ」を理解する人は、イエスの示された「8つの幸い」に心を向けることができます。図を見てください。「8つの幸い」は天の御国に住む人々の特権的幸いです。重要なことは、そのような人にならなければ、天の御国に入ることができないということでは決してありません。むしろ、天の御国においてはそのような者とさせていただける御国の福音が語られているのです。それから、天国では、もはや苦しみは無いと約束されています(黙示録21:4)から、8つの幸いは、後悔や苦悩を天国に持ち込む、という意味ではありません。やがて自分が御国においてどのような者として祝福を受けるのか、その究極の姿を絶えず思い起こしましょう。そしてそれが私たちの内にすでに始まっていることを今信じ、心に留めたいと思います。                      (銘形「マタイの福音書の瞑想」より引用)

2021年2月14日日曜日

2021年02月14日 第2主日礼拝 兄弟の確執

招詞
 どのようにして若い人は自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。私は心を尽くしてあなたを求めています。どうかあなたの仰せから私が迷い出ないようにしてください。私はあなたのみことばを心に蓄えます。 詩篇119篇9~11節

聖書箇所
エゼキエル書35章1節~15節

説教
兄弟の確執 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/375 神の悲しみを知る者

 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのもの だからです。  マタイの福音書5章3節

 天の御国は、霊(心)の貧しい者たち、悲しむ者たち、柔和な者たち、義に飢え渇く者たちが、幸いな者として新しく生まれ変わるところです。人間の力によってその幸いを得ることは不可能です。そんな不可能な幸いにあずかる者たちの資質が、山上の説教で語られているいるわけです。幸いな者たちの四つの面は、バラバラではなく図のように密接につながっています。自分が霊において貧しい者であることを悟った者は、はじめて神の深い悲しみを理解する者となります。それがイエスの言われる「悲しむ者」の意味です。人が経験する「悲しみ」以前に、神が悲しんでおられることを知る者のことです。人の「悲しみ」を理解できても、神の「悲しみ」を理解できる者はなかなかいません。その神の悲しみの原因は私たちの内に住む罪にあるからです。次回、もっと掘り下げましょう。                   (銘形「マタイ福音書の瞑想」より引用)

2021年2月6日土曜日

2021年02月07日 第1主日礼拝 救いだし世話をなさる神

招詞
 幸いなことよ、全き道を行く人々、主のみおしえに歩む人々。幸いなことよ、主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。                 詩篇119篇1~2節

聖書箇所
エゼキエル書34章1節~31節

説教
救い、ケアなさる神 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/374 御国の幸い
 E.シュヴァイツァーというスイス生まれの牧師の著書「山上の説教」(マタイ5:3~)では、「8つの幸い」の「幸い」を「救い」に置き換えて説明しています。

3節 霊において貧しい者たちに救いがある。なぜなら天国は彼らのものだから。
4節 悲しんでいる者たちに救いがある。なぜなら彼らはなぐさめられるであろうから。
5節 謙遜な者たちに救いがある。なぜなら彼らは地を相続するであろうから。
6節 義に飢えかわく者たちに救いがある。なぜなら彼らは満腹するであろうから。

天の御国は、このような救いにすでにあずかった者たちがいるところです。この確信を、私たちも持っていることは何と幸いなことでしょうか。    (銘形「マタイの福音書瞑想」から引用)

2021年1月31日日曜日

2021年01月31日 第5主日礼拝 マタイの半生

招詞
 家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。
                                詩篇118篇22~24節

聖書箇所
ルカの福音書5章27節~32節

説教
マタイの半生 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/373 教える(ディダスコー)

 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
                             マタイの福音書7章28~29節

 イエスの3つの働きについて掘り下げましょう。イエスは当時の律法学者たちの慣習に従い、会堂で教えられましたが、多くの⼈々はイエスの教えに驚きまし た。それは律法学者のようではなく、権威ある者のように教えられたからです。イエスの教えの特徴は当時の律法学者たちの伝統的なトーラー(モーセ5書)の解釈に対して、批判的、かつ挑戦的な解釈だったからです。「教える=ディダスコー」という動詞は、特に「⼭上の説教」に⾒られるように、御国の福音の教えとトーラーの新しい解釈とが結びついていて、⼈々の意表をつく解釈でした。   
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」マタイの福音書5章3節
                      ( 銘形「マタイの福音書の瞑想」より一部引用) 

2021年1月24日日曜日

2021年01月24日 第4主日礼拝 悔い改めて、生きよ②

招詞
 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまで。主は私の味方私を助ける方。主に身を避けることは人に信頼するよりも良い。        詩篇118篇1、7a、8

聖書箇所
エゼキエル書33章1~33節

説教
悔い改めて、生きよ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/372 三つの働き 
 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。                   マタイの福音書 4章23節

 上記23節には、イエスさまの公生涯でなさった三つの働きが集約されています。それは、
① 会堂で「教える」こと
②御国の福⾳を「宣べ伝える」こと
③あらゆる病気、あらゆるわずらいを「直す」こと
です。会堂(シナゴーグ)は、ユダヤ人たちの聖書教育の場であり礼拝の場でした。バビロン捕囚などで、祖国から離散したユダヤ人たちは、10人いれば会堂を建てることができました。今日、クリスチャンは、教会堂で聖書教育と礼拝をしています。働きの第⼆は、御国の福⾳を「宣べ伝える」ことでした。それは今日に言う「宣教」とか「伝道」という働きです。それは旧約の預⾔者たちが前もって預⾔していたことであり、メシアの到来による良いおとずれを内容とするものでした。働きの第三は「直す」ことでした。新約聖書で「病気をいやす」(セラペウオー:英語セラピーは「ここから派生)という語彙を最も多く使っているの はマタイです。現代のように医学が発達していない時代には、どのような病気であっても死に直結する不安が強かったはずです。しかし、やがて御国が実現する時には、どんな病であっても一瞬にしていやされることをイエスさまはデモンス トレーションしたことにもなります。誰にもできる私たちのできるのは②ですが、③についても、自分や友人の病気が癒されるように、主イエスさまに祈り願うことができますね。
                        (銘形「マタイ福音書の瞑想」より一部引用)