2022年7月31日日曜日

2022年07月31日 第5主日礼拝 主の言われる「誰」になろう

招詞
 主よ、思い起こしてください。あなたのあわれみと恵みを。それらはとこしえからのものです。私の若いころの罪や背きを思い起こさないでください。あなたの恵みによって私を覚えていてください。                                詩篇25篇6~7節

聖書箇所
イザヤ書6章8節

説教
主の言われる「誰」になろう 金田与施夫牧師

言(こと)ローグ/450 イエスの型破り③
 イエスは、彼らに言われた。「人の子は安息日の主です。」      ルカの福音書6章5節

 ルカ6:1~11には、安息日にしてはならないとされていた二つの出来事:ひとつは、「穂を摘んで、手で揉みだして食べていたこと」で、もうひとつは、「いやしの行為をしたこと」が記されています。そして、この二つの中に、「人の子は、安息日の主です」ということばが置かれています。貧しい、空腹な人は、道端の麦畑で穂を摘んで食べることが許されていました。人を助け、病気を癒す行為も、隣人愛にかなうことで安息日の禁止条項に入るべきではありませんでした。
安息日を聖なる日とすることは、人を休ませ、人を生かすためで、永遠に変わることのない神のご意志です。しかし当時の指導者たちは、人々を生かすことよりも律法に束縛させ、律法の奴隷にしてしまったことがイエスの言動と対峙する最大の理由でした。私たちも律法的にならないように自分を見張りましょう。             (銘形:「イエスの破天荒な言動」より引用)

2022年7月24日日曜日

2022年07月24日 第4主日礼拝 神に怒るヨナ

招詞
 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。                  
                                   詩篇23篇1~3節

聖書箇所
ヨナ書

説教
神に怒るヨナ 菅孝雄兄

言(こと)ローグ/449 イエスの型破り② レビの召し

 その後、イエスは出て行き、収税所に座っているレビという取税人に目を留められた。そして「わたしについて来なさい」と言われた。するとレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。                                                              ルカの福音書5章27節~28節

 取税人のレビことマタイを弟子としたことからイエスの型破りな言動が目につきます。
レビが、イエスの弟子になった時、罪人と見下されていた取税人仲間を食事に呼び、再び律法学者たちの非難を浴びます。イエスは罪人を招くために来た、と宣言して対抗します。人に批判されるような生活をしている人々の助けになろうと寄り添うことはイエスの喜ぶことです。
但し、罪や悪い習慣に逆に取り込まれてしまわないように、ご聖霊の助けをいただきながら、ということになります。妥協の無い信仰のメンテナンスが必要ですね。
                     (銘形:「イエスの破天荒な言動」より一部引用)

2022年7月16日土曜日

2022年07月17日 第3主日礼拝 十字架にとどまる愛 

招詞
 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
                                   詩篇23篇1~3節

聖書箇所
マタイの福音書27章39~44

説教
十字架にとどまる愛 銭谷幸器牧師(DVD)

言(こと)ローグ/448 イエスの型破り➀ 罪の赦し
 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」すると彼はすぐに人々の前で立ち上がり、寝ていた床を担ぎ、神をあがめながら自分の家に帰って行った。
                              ルカの福音書5章24~25節

 イエスの教えを聞きに集まっていた大勢の人々の前で、イエスが中風の男性の罪を赦し、歩けるように癒された奇蹟のエピソードです。人々はメシアの到来だと神を崇め喜んだ反面、イエスを信じない律法学者たちは、律法を盾に罪を赦す権威など誰にもない、と敵意をむき出しにしました。書かれた律法(タナク)と口伝(くでん)律法(りっぽう)で人々を縛り、コントロールしてきた彼らの権威が崩されかけたのです。「神を愛し、隣人を愛せよ」という律法の心を失った律法学者たちの暴走が始まります。律法の心を失わないように、弱い人、器用で無い人と共に神の国を前進させましょう。                   (銘形「イエスの破天荒な言動」より一部引用)

2022年7月10日日曜日

2022年07月10日 第2主日礼拝 2家族の洗礼

招詞
 だれが自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか隠れた罪から私を解き放ってください。あなたのしもべを傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。私の口のことばと私の心の思いとが御前に受け入れられますように。     詩篇19篇12~14節


聖書箇所
使徒の働き10章1節~48

説教
2家族の洗礼 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル


言(こと)ローグ/447 神の導きの確証

 神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。     使徒の働き10章15節

 使徒の働き10章で、ユダヤ人のペテロが敬神者といえども異邦人の百人隊長の家を訪れたことは、ユダヤ人の側からすると物議を呼ぶ出来事だったのです。お互いに、家の敷居を跨がない関係でした。この人種的・文化的な壁を超えさせるために不思議な、しかも確かな神の導きがあったことをルカは10章全部を使って強調し、記録したのです。それは、神の導きが決して独りよがりなものではなく、第三者にも分かるような具体的な証拠(あかし)があることを教えるためです。
神の導きのパターンのひとつに「統合型」があります。それは全く知れない者たちが、それぞれ神の導きに従って行動したとき、そこにはじめてそれが神の導きであったことが確証されるパターンです。双方に対する神の導きによって、ペテロの話を聞いたコルネリオとその関係者の上に聖霊が下り、信仰による賜物が与えられました。異邦人の救いに懐疑的だった、同行したユダヤ人クリスチャンをも納得させる出来事でした。そこでペテロはイエスがキリストであることを信じた人々に洗礼を授けたのです。ここに異邦人がユダヤ教に改宗することなく、そのままでユダヤ人と同じ救いが与えられたのです。                (銘形 「神の導きの確証」から引用)

2022年7月3日日曜日

2022年07月03日 第1主日礼拝 強権者ファラオと ①

招詞
 主のおしえは完全でたましいを生き返らせ、主の証しは確かで浅はかな者を賢くする。主の戒めは真っ直ぐで人の心を喜ばせ主の仰せは清らかで人の目を明るくする。   詩篇19篇7~8節

聖書箇所
出エジプト記5章1節~23節
      6章1節~13節

説教
強権者ファラオと ① 田口勇新牧師


音声のみはこちら:MP3音声ファイル


言(こと)ローグ/446 去らせよ(シャーラハ)

 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。主の言葉には力があります。 
                               ヘブル人への手紙 4章12節

 出エジプト記5章から始まるモーセとファラオとの交渉のキーワードは、シャーラハ(去らせよ)です。ファラオに謁見したモーセは、ファラオに「去らせよ」と要求します。それに対してパロは「去らせない」と断固断わります。再度、主はモーセに、パロのところに行って「去らせよ」と告げよと命じます。ここで使われている動詞はすべて強意形「シャーラハ」です。ただの押し問答のように聞こえますが、ファラオにはマイナスの心理的プレッシャーを与えていきます。強がりを言っていますが、主の後ろ盾の無いファラオには恐れが膨れていきます。神のみことばは、ファラオに対しては脅威でしたが主(ヤーヴェ)を信じるモーセには安心の保証でした。
そして、教会の時代に入り、みことばは、主イエスを信じる者全てに罪からの救いの証印です。私たちは、折にかなった助けを得るために大胆に復活の主イエスに近づくことができます(ヘブル 4:16)。                (銘形 「出エジプト記56章の言葉」から一部引用)