2020年9月26日土曜日
2020年09月27日 第4主日礼拝 破れ口に立つ者
2020年9月19日土曜日
2020年09月20日 第3主日礼拝 苦しみと希望
聖書箇所
2020年9月12日土曜日
2020年09月13日 第2主日礼拝 背く者も捨てない神
招詩
私の口は あなたの誉れを告げ知らせます。まことに私が供えても あなたはいけにえを喜ばれず 全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ砕かれた心。
詩篇51篇15~17節
聖書箇所
言(こと)ローグ/353 イエスの「ハプトー(さわる)」ミニスト
イエスがある町におられたとき、見よ、全身ツァラアトに冒された人がいた。その人はイエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります。」イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた。 ルカの福音書5章12~13節
「さわる」と訳されたギリシャ語は「ハプトー」で、新約では39回使われています。多くは、人がイエスに触る場合ですが、そこには人々の切迫感があります。イエスによりすがり、しがみつこうとする姿があります。一方のイエスのさわりは、人に対する憐みが込められています。人格的なかかわりがあります。十把一絡げに「タッチ!」と叫んで癒すやり方とは違います。一人一人に対して憐みをもって手で触れているのです。「ハプトー」は、旧約では、ヘブル語の「ナーガ」に相当します。どちらも、神と人との双方に強い親近感が存在しています。イエスはそのようなかかわりをもって、全身ツァラアトの人に対して「さわった」(アオリスト時制)のでした。つまり一回限りの行為でしたが、そのツァラアトはあとかたもなく、完全に消え去ったのです。彼は、不当にのけ者にされ、人格さえも否定されていた人でしたが、イエスに強い信頼をいだいていました。私たちもツァラアトの人の熱心さと切迫感をもってイエスにすがることができます。イエスは、あわれみと愛を込めてあなたの心に触れてくださいます。 (銘形「ルカの福音書を味わう」より引用)
2020年9月6日日曜日
2020年09月06日 第1主日礼拝 ライオンとブドウの木
ライオンとブドウの木 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル
言(こと)ローグ/352 二つの系図
イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。ヨセフはエリの子で。。。 ルカの福音書3章23節
マタイの福音書1章とルカの福音書3章には、イエス・キリストの系図があります。この系図における重要性は、マタイにある系図がアブラハムで止まっているのに対して、アダムまで遡っていることです。それは、人間の罪の源泉であるアダムまで遡り、イエスを最後のアダムとして「踏み直し」を図る存在であることを示唆しています。「ヨセフはエリの子で」とありますが、実は、これはマリア側の系図で、へブル的に夫の名前で書き始める習慣です。ルカの福音書は、ユダヤ人以外の全世界の人たちへの福音を語るのが目的でした。それで、イエスを最後のアダムとして位置づけ、アダムによってもたらされた罪の重荷から人類を解放する救い主であることを指し示そうとしています。一見、無味乾燥に見える系図からも深い学びができますね。
(銘形「ルカの福音書を味わう」より抜粋)