2021年1月31日日曜日

2021年01月31日 第5主日礼拝 マタイの半生

招詞
 家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。
                                詩篇118篇22~24節

聖書箇所
ルカの福音書5章27節~32節

説教
マタイの半生 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/373 教える(ディダスコー)

 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
                             マタイの福音書7章28~29節

 イエスの3つの働きについて掘り下げましょう。イエスは当時の律法学者たちの慣習に従い、会堂で教えられましたが、多くの⼈々はイエスの教えに驚きまし た。それは律法学者のようではなく、権威ある者のように教えられたからです。イエスの教えの特徴は当時の律法学者たちの伝統的なトーラー(モーセ5書)の解釈に対して、批判的、かつ挑戦的な解釈だったからです。「教える=ディダスコー」という動詞は、特に「⼭上の説教」に⾒られるように、御国の福音の教えとトーラーの新しい解釈とが結びついていて、⼈々の意表をつく解釈でした。   
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」マタイの福音書5章3節
                      ( 銘形「マタイの福音書の瞑想」より一部引用) 

2021年1月24日日曜日

2021年01月24日 第4主日礼拝 悔い改めて、生きよ②

招詞
 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。 その恵みはとこしえまで。主は私の味方私を助ける方。主に身を避けることは人に信頼するよりも良い。        詩篇118篇1、7a、8

聖書箇所
エゼキエル書33章1~33節

説教
悔い改めて、生きよ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/372 三つの働き 
 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。                   マタイの福音書 4章23節

 上記23節には、イエスさまの公生涯でなさった三つの働きが集約されています。それは、
① 会堂で「教える」こと
②御国の福⾳を「宣べ伝える」こと
③あらゆる病気、あらゆるわずらいを「直す」こと
です。会堂(シナゴーグ)は、ユダヤ人たちの聖書教育の場であり礼拝の場でした。バビロン捕囚などで、祖国から離散したユダヤ人たちは、10人いれば会堂を建てることができました。今日、クリスチャンは、教会堂で聖書教育と礼拝をしています。働きの第⼆は、御国の福⾳を「宣べ伝える」ことでした。それは今日に言う「宣教」とか「伝道」という働きです。それは旧約の預⾔者たちが前もって預⾔していたことであり、メシアの到来による良いおとずれを内容とするものでした。働きの第三は「直す」ことでした。新約聖書で「病気をいやす」(セラペウオー:英語セラピーは「ここから派生)という語彙を最も多く使っているの はマタイです。現代のように医学が発達していない時代には、どのような病気であっても死に直結する不安が強かったはずです。しかし、やがて御国が実現する時には、どんな病であっても一瞬にしていやされることをイエスさまはデモンス トレーションしたことにもなります。誰にもできる私たちのできるのは②ですが、③についても、自分や友人の病気が癒されるように、主イエスさまに祈り願うことができますね。
                        (銘形「マタイ福音書の瞑想」より一部引用)

2021年1月16日土曜日

2021年01月17日 第3主日礼拝 レバノン杉と海の巨獣も

招詞
 主は情け深く正しい。まことに私たちの神はあわれみ深い。主は浅はかな者をも守られる。私がおとしめられたとき、私を救ってくださった。私のたましいよ、おまえの全きいこいに戻れ。主がおまえに良くしてくださったのだから。                詩篇116篇5~7節

聖書箇所
エゼキエル書31章~32章

説教
レバノン杉と海の巨獣も 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/371 いのちのパン
 人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる。
                                 マタイの福音書4章4節

 イエスはこう言って、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」というサタンの誘惑を退けました。サタンの戦略は、石をパンにすることで多くの人々のニーズ(必要)が満たされ、そのことによって多くの人々から受け入れられ、その程度で済ませようとすることへの誘惑でした。イエスは、サタンの策略のゆえに罪の鎖に縛られているすべての人達を救い、解放して永遠の命を与えるために来臨されたのです。ヨハネの福音書では、「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」(6:51)と言っています。それゆえ、イエスは、当時の人々に、そして現代の私たちにも「朽ちる食物のためではなく、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」と言われたのです。この食べ物とは、イエスの言葉であり、聖書のみことばです。       (銘形「マタイの福音書の瞑 想」より一部引用)

2021年1月10日日曜日

2021年01月10日 第2主日礼拝 二つの預言

招詞
 私たちの神は天におられ、その望むところをことごとく行われる。彼らの偶像は銀や金。人の手のわざにすぎない。口があっても語れず目があっても見えない。     詩篇115篇3~7節

聖書箇所
エゼキエル書30章1~26節

説教
二つの預言 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/370 イエスを伝える
 イエスはガリラヤ全⼟を巡って、会堂で教え、御国の福⾳を宣べ伝え、⺠の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。                 マタイの福音書4章23節 

 イエスは、ガリラヤ湖の北の町カぺナウムを拠点として、宣教と癒しの働きをなさいました。その後、イエスの評判はガリラヤからシリヤ全体へ広がりました。つまりイスラエルの北⽅(北東地⽅)全体です。さらに、ガリラヤ湖南⽅のデカポリス、ユダヤ、エルサレム、ヨルダンの向こう岸へと広がり、そこに住む⼈々がイエスを信じて従ったのです。選民思想にあぐらをかいていたユダヤ人を驚かせました。イエスの御国の福音は、人種と言語・文化を超えたバリアフリーの性質をもったものでした。私たちも、この福音を委ねられています。人を癒し救う力のあるイエスのみ言葉を伝えていきましょう。             (銘形「マタイの福音書の瞑想」より引用) 

2021年1月2日土曜日

2021年01月03日 新年礼拝 12歳の都上り

招詞
 ハレルヤ。主のしもべたちよ主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえまで。主の御名がほめられるように。だれが私たちの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し身を低くして天と地をご覧になる。                        詩篇113篇1~2、5~6節

聖書箇所
ルカの福音書2章39節~52節

説教
12歳の都上り 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/369 天の都への旅
 苦しみのうちに私が主を呼び求めると主は私に答えてくださった。      詩篇120篇1節

 2021年です。天の御国を目ざす旅の新しい一ページが始まりました。イスラエルの人々は、出エジプト23:14のみ言葉に従い、三大祭と呼ばれる過越しの祭り(ペサハ)、七週の祭り、仮庵の祭りの時にエルサレムに上り、神殿で天地創造の神に礼拝を捧げました。旅費がかかりますから、遠隔地の人や貧しい人々は、ペサハを選んで年一回だけ出かけました。ペサハは、男子だけで60万人(全体で300万人ほど)が奴隷にされていたエジプトを脱出した時に神が起こされた奇跡を回顧し1週間祝われました。ユダヤ人は今でも祝っています。教会の時代が始まって40年足らずの紀元70年に、エルサレム神殿はローマ軍に破壊されましたが、聖書は、完成形として、天から下って来る新しいエルサレム(黙示録3:12ほか)を啓示しています。ですから、ダビデの時代のエルサレムと幕屋も、イエスの時代のエルサレムと神殿も、新しい天のエルサレムを示すひな型です。ダビデの詩篇120篇、130篇は、「苦しみのうち」、「深い淵」から始まり、主に助けを求めています。詩の結論は、「主に呼ばわると、主は私に答えられた。」です。私たちが、神と出会う契機として、多くの人がなんらかの「苦しみ」や「深き淵」を経験します。それは人の悪意によってもたらされることもあれば、自分の罪によってもたらされたりもします。私は、高校の時、二人のクラスメートが高校隣りの教会に行っていたので、クラス全員で訪ねたのが最初でした。大切なことは、そこから主を呼び求め、一縷の望みとして主を待ち望むことが引き出されていることです。イエス様に感謝しながら天の都への旅を続けましょう。 
                           (銘形「詩篇の瞑想」より一部引用)