2024年1月27日土曜日

2024年01月28日 第四主日礼拝 ローマで: 感激と落胆

招詞
 神よ。まことに、あなたは私たちを試し、銀を精錬するように、私たちを練られました。私たちは、火の中、水の中を通りました。しかし、あなたは私たちを、豊かな所へ私たちを導き出してくださいました。                         詩篇66篇10、12b節

聖書箇所
使徒の働き28章11節~31

説教
ローマで: 感激と落胆 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/526 聞け イスラエル(シェマー・イスラエル)

 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。     申命記6章4節

 このフレーズで最も重要な箇所は、最初の「聞け(シェマ)」と最後の「唯一の(エハード)」です。そこには、イスラエルの民が唯一の神のみを神とし、主として仰いでいこうとする決意が込められているのです。
イスラエルの民は、この命令をきわめて重要視し、長い世代にわたって、その重要性を体験的に子孫に伝え残していくために、一つの習慣を生み出しました。その習慣とは、6章4節を一息で、息の続く限り伸ばし、息が切れて声が出なくなるまで引き伸ばして読むのです。このことによって、息の続く限り、いのちのある限り、「主は私たちの神、主はただひとりである」という信仰を表明しようとしているのです。
私たちの生存と防衛(あらゆる守り)の保障を唯一の神である主以外に求めるなら、それは自動的に偶像礼拝となってしまいます。「神である主は唯一である」という真理、あるいは、世界中で「主イエス・キリストの他には救われるべき名はない」(使徒 4:12)とする排他的真理は、私たちの旗印で、悪魔が最も嫌うものです。    (銘形:ヘブル語のディリーブレッドより一部引用)

2024年1月21日日曜日

2024年01月21日 マルタでの奇蹟

招詞
 国々の民よ、私たちの神をほめたたえよ。神の誉れをたたえる声を響き渡らせよ。神は、私たちのたましいを、いのちのうちに保ち、私たちの足を揺るがされない。    詩篇66篇8、9節

聖書箇所
使徒の働き28章1節~15

説教
マルタでの奇蹟 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/525 見つけ、見いだされる

 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。わたしはあなたがたに見出される。              エレミヤ書29章13~14節

 預言者エレミヤが、イスラエルの王と王族、祭司、偽預言者、すべての民に語った言葉です。当時、偶像礼拝の罪にまみれ、彼らの霊性は地に落ちていました。エレミヤのような真の預言者、祭司たちは少数派でした。
 13節と14節前半では、神の民が神を尋ね求めることによって神を「見出し」、しかも心を尽くして求めることで、主は「見出される」とあります。
神を「見出す」とはどういうことでしょう。それは神のみことばを通して、神を知り、神のみおしえ(みことば)を通してそのすばらしさを味わい、神の深い心に触れることを意味します。羊皮紙に書かれた聖書(モーセ五書=律法)が開かれて神のみこころを悟り、そのみこころがなされることを祈り求めるようになることです。
私たちにとっても、神との愛のかかわりが深められて、それを喜ぶこと・・。これらが「神を見出す」ことの意味です。           (銘形:ヘブル語のディリーブレッドより一部引用)

2024年1月14日日曜日

2024年01月14日 12歳のメシア・イエス

招詞
 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住む人は。私たちは、あなたの家の良いもの、あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。私たちの救いの神よ。あなたは恐るべきみわざで、義のうちに私たちに答えられます。あなたは、地のすべての果て、遠い大海の信頼の的です。                                詩篇65篇4~5節

聖書箇所
ルカの福音書2章40~52節

説教
12歳のメシア・イエス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/524 よりすぐれた献げもの

 信仰によって、弟のアベルは兄のカインよりも優れたささげ物をし、彼が信仰によって生きていたことが実証された。神が彼のささげ物を受け入れられたからである。アベルは死んだが、信仰によって生きることを、今でも私たちに教えてくれる。   ヘブル人への手紙11章4節 現代訳

 創世記4:1~13によると、アベルは、妬みにかられた兄のカインによって殺され、短い人生だったと記されています。しかし、上記、ヘブル書では、アベルの地上での生涯は悲惨に終わりましたが、その人生はとても価値ある生涯だったのです。決して空しく終わることのない生涯であり、それは「神を恐れる」ことによってのみもたらされることを教えています。あの栄華を窮めた王、この世の最高の知恵者ソロモンは、この世のすべての良いと思う事を手にしてもなおむなしいと嘆息し、信仰がなければすべて空しいと結論づけました(伝道者の書 1:2)。アベルは、短い生涯でしたが、生きている間、信仰によって歩む生涯の大切さをすでに悟り、後世の私たちにも語っています。よりすぐれたものを神に、というアベルの信仰に習いましょう。

2024年1月7日日曜日

2024年01月07日 第一主日礼拝 新年礼拝 シメオンの幸い

招詞
 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家の良いもの、あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。私たちの救いの神よ。あなたは恐るべきみわざで、義のうちに答えられます。あなたは、地のすべての果て、遠い大海の、信頼の的です。                                詩篇65篇4~5節

聖書箇所
ルカの福音書2章22節~35

説教
シメオンの幸い 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/523 主に(エト・アドナイ)

 私と私の家族とはあくまでも主に仕える。  ヨシュア記 24章15節(リビングバイブル)

 この聖句の大事な点は、単に私個人が「主に仕える」というだけでなく、15節にあるように、「私と私の家(家族)とは、主に仕える」という、家族ぐるみで、主体的・自覚的な信仰をもって、主を礼拝し、仕えるという告白です。しかし、言うは易し、行いは難しです。この取り組みがいかに大事業で、緊急な課題であるかを自覚しなければなりません。
申命記6章は、確認の言葉です。「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」(6:6~9)。ユダヤ人の子供たちは今でも、5歳からトーラー(モーセ五書)を学び、12歳ではトーラーの解釈である「ミシュナー」を学びます。しかも膨大な神のことばを記憶するように教育されるのです。ところで、冒頭のエト・アドナイのエトは、アルファベットの最初の文字(アーレフ)と最後の文字テットから成っています。初めから終わりまで、徹頭徹尾主に仕えるの「主に」を強調するのに相応しい前置詞だと思います。
                   (銘形「ヘブル語デーリーブレッド」から部分引用)