2023年7月30日日曜日

2023年07月30日 第5主日礼拝 教会のチャレンジ ⑭ パウロの約束

招詞
 主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。主は貧しい人の苦しみを蔑まずいとわず、御顔を彼から隠すこともなく助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。          詩篇22篇23~24節
 
聖書箇所
使徒の働き18章18節~22節

説教
教会のチャレンジ ⑭ パウロの約束 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/501 病 気 ⓵
 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。                    コリント人への手紙第ニ章16節

クリスチャン作家の三浦綾子さんは病気の展覧会みたいな人で、若いころから、肺結核に始まり次々といろいろな病気にかかった方です。体調が良いとは言えないときでも、彼女は夫の協力を得ながら口述筆記で多くの作品を意欲的に作られました。ある本で、私は三浦綾子さんが自分の病気についてこう語っているのを読んだことがあります。「私は、こんなに多くの病気にかかって、神様は自分をえこひいきしているのではないかと思います。」 彼女が言うには、「私は病気を一つするたびに、一つずつ新しいことを学んだ。すばらしい恵みを受けた。」と受け止めていました。「病気になっても頑張ります」という人のことばとは違うようです。(つづく)
                          <銘形:「謙遜への招き」より一部引用>

2023年7月23日日曜日

2023年07月23日 第4主日礼拝 教会のチャレンジ ⑬ キリストの香を放つ

招詞
 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 それらは、金よりも、多くの純金よりも慕わしく、蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。あなたのしもべも、それらにより戒めを受け、それを守れば、大きな報いがあります。
                                  詩篇19篇9~11節
 
聖書箇所
コリント人への手紙第二2章15節~17節

説教
教会のチャレンジ ⑬ キリストの香を放つ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/500 弱 さ
 私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。         コリント人への手紙第二12章9~10節

ここでいう「弱さ」とはいったいなんのことでしょうか。コリント第2 12章1節以下を読んでいきますと、パウロに対して啓示された事柄、<パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いた経験>が、あまりにもすばらしいことであったようです。そのために、神はパウロが高ぶることのないようにと肉体に一つのとげが与えられました。
パウロは、主にこのとげを取り除いてくださいと祈ったのです。そうすればもっと神様のために働けますから。どうぞ取り去ってくださいと三度も嘆願しましたが、神はそのとげを取り去って下さいませんでした。なんと、主の答えは意外でした。「わたしの恵みは弱さの中に完全に現される」という返答でした。つまり、弱さの中にこそ、主の恵みと御力はさらにまさって示されるというのです。パウロはそのことを受けとめたのです。パウロのように、弱さに現れる主の強さを経験させていただきましょう。                (銘形:「謙遜への招き」より一部引用)

2023年7月16日日曜日

2023年07月16日 第3主日礼拝 徒ヨハネの足あと / 喜びに招かれて

招詞
 いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。そのなかで一番すぐれているのは愛です。   
                                第一コリント13章13節
 
聖書箇所
第一礼拝:マタイの福音書4章17~25節
第二礼拝:マルコの福音書4章1節~9節

説教
第一礼拝:徒ヨハネの足あと 田口勇新牧師
第二礼拝:喜びに招かれて キャサリン・ポーター宣教師

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聖書のことば
 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。非常に多くの群衆がみもとに集まったので、イエスは湖で、船に乗って腰を下ろされた。群衆はみな、湖の近くの陸地にいた。イエスは、多くのことをたとえによって教えられた。その教えの中でこう言われた。
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。
また、別の種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びてふさいでしまったので、実は結ばなかった。
また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
そしてイエスは言われた。「聴く耳のある者は聞きなさい。」
                       マルコの福音書 4章1~9節 (新改訳2017)

2023年7月9日日曜日

2023年07月09日 第2主日礼拝 教会のチャレンジ ⑫ 生涯の友たち

招詞
 主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、浅はかな者を賢くする。主の戒めは真っ直ぐで、人の心を喜ばせ、主の仰せは清らかで、人の目を明るくする。
                                   詩篇19篇7~8節
 
聖書箇所
使徒の働き18章1節~17節

説教
教会のチャレンジ⑫ 生涯の友たち 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/499 人の弱さ(アッセネイア)
 私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。 
                           コリント人への手紙第ニ 12章9節

 パウロは、キリストの力が私たちをおおうと「強くなる」と言っています。自分が弱い存在であることに同意するとき、はじめてキリストの力が私を覆って、強くされるのです。これが「弱い時にこそ、私は強いのです」というパウロの宣言するところなのです。
但し、信仰の強さは聖書が勧めていることです。「アブラハムはおよそ百歳にもなって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。信仰が強くなることは神が喜ばれることです。」(ローマ 4:19)
しかし、パウロは教会の中では「信仰の弱い人を受け入れなさい」とも言っています(ローマ14:1)。また「力のある者は、力のない人たちの弱さを担うべきです。自分を喜ばせるべきではありません。」(ローマ15:1)とも言っています。
ここでの強い弱いは、互いにその存在を認め合うことによって、調和がもたらされるという考え方です。弱い人を受け入れ、進んで助ける人になりましょう。
                          (銘形「謙遜への招き」より一部引用)

2023年7月2日日曜日

2023年07月02日 第1主日礼拝 教会のチャレンジ ⑪ ギリシャで

招詞
 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ話を伝え、夜は夜へ知識を示す。話しもせず、語りもせず、その声も聞こえない。しかし、その光芒(こうぼう)は全地に、そのことばは、世界の果てまで届いた。                詩篇19篇1~4節

聖書箇所
使徒の働き17章16~34

説教
教会のチャレンジ⑪ ギリシャで 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/498 しもべと仕える者 (ディアコノスとドゥーロス)
 あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子(イエス)も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。                          マルコの福音書10章43~45節

 ここには「仕える者」と「しもべ」という二つのことばが出てきます。「仕える者」、ギリシャ語では「ディアコノス」ということばで、「執事」(教会に仕える者)とか、「奉仕者」とも訳されていることばです。もうひとつは「しもべ」ということばが使われています。ギリシャ語では「ドゥーロス」で、「奴隷」のことです。「仕える者」と「しもべ」とは、意味するところは同じであると言えます。
神の世界においては、最高の称号は「神のしもべ」という称号です。モーセは「神のしもべ」と呼ばれ、使徒パウロも自分のことを「キリスト・イエスのしもべ」と自己紹介しています。常に、彼がそういう意識で生きていたことを物語っています。クリスチャンというのは、「キリストの奴隷、キリストのしもべ」という意味です。あなたは、どこでも、また誰に対してでも、「私はクリスチャンです」と言えているでしょうか。        (銘形「謙遜への招き」より一部引用)