2022年8月28日日曜日

2022年08月28日 第4主日礼拝 過ぎ越し 贖いの力 ①

招詞
 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私とともに主をほめよ。ひとつになって、御名をあがめよう。              詩篇34篇1、3節

聖書箇所
出エジプト記11章節~章節

説教
過ぎ越し 贖いの力 ① 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/454 新しく生まれ変わらなければ

 イエスはこう言われた。「どんな人でも生れ変りを経験しなければ、神の国に入れていただくことはできません。」 ニコデモは、言った。「先生。私は年を取りました。どうして、もう一度母の胎に入り直して、出て来ることができましょうか。」    ヨハネの福音書3章3~4節 現代訳

 イエスの型破りな発言は続きます。「神の国に入れていただく」とは、神の国の支配、神の恵み、神の愛を真に経験できる世界です。これを別なことばで表現すると、「永遠のいのちを持つ」とか、「救われる」ということばになります。
「新しく生まれ変わり」とは、「つもり」とか、「気持ち」とかという心の構え方の問題ではなく、まさに、現実の経験として「新しく生まれる」ことを意味します。頭で理解しようとすると、おそらく混乱するでしょう。なぜなら、霊的な出来事だからです。ニコデモも混乱しました。「私は年を取りました。どうしてもう一度母の胎に入り直して、出てくることができましょうか。」 律法の大先生ニコデモとイエスの問答には、「すれ違い現象」が起こっていますが、ここに闇が光と接触していたのです。
しかし、この時以来、ニコデモはイエスの弟子になり、ユダヤ人議会でイエスの擁護発言をし、イエスの埋葬にも関わります。光が闇に打ち勝ったのです。 
                (銘形:「主との友情を育むヨハネの福音書」より一部引用)

2022年8月20日土曜日

2022年08月21日 第3主日礼拝 強権者ファラオと③

招詞
 まことに私たちの心は主を喜び、私たちは、聖なる御名により頼む。主よ。あなたの恵みが、私たちの上にありますように。                    詩篇33篇21~22節

聖書箇所
出エジプト記9章1節~10章29節

説教
強権者ファラオと③ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/453 仮寝の場所も無い

 イエスたちが、道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私は、あなたがおいでになる所なら、どこへでもご一緒に参ります。」 すると、イエスは彼に言われた。「さすらいの習性のある狐にさえ、ねぐらはある。空の鳥にも巣がある。しかし、わたしには仮寝の場所も無い。わたしに従って来る者も、同じことを覚悟しなければなりません。」
                         ルカの福音書 9章57~58節 (現代訳)

 イエスが、30歳になり型破りなメッセージ(福音)を持って、公生涯に出た初期のエピソードです。一見、弟子入り志願の若者(?)への断りの文句にも聞こえます。つまり、狐たちには自分の家がある。落ち着きの我が家、帰る場所というものがある。しかし、「私には、イスラエルを行脚する毎日だけだよ。それでもついて来るかね?」と問われました。
イエスは、実際には、ガリラヤ湖の北岸の町カペナウムがベースでそこからエルサレムを含むイスラエル全土を巡りました。地中海沿岸のツロまでも足を延ばされました。エルサレムに近いマルタ、マリヤ、ラザロの家で弟子たちと休憩・宿泊することも多かったようです。それでも、イエスとペテロなど側近の弟子たちにとってほぼ毎日が旅だったわけです。「狐には...」は決して大げさな言い方ではありません。イエスが、実際にしたことは、イスラエル中を行脚し、福音の種まきをなさることでした。弟子たちが収穫に預かるために。

2022年8月14日日曜日

2022年08月14日 第2主日礼拝 強権者ファラオと②

招詞
 正しい者たち 主を喜び歌え。賛美は直ぐな人たちにふさわしい。竪琴に合わせて主に感謝せよ。十弦の琴に合わせてほめ歌を歌え。新しい歌を主に歌え。      詩篇33編1~3節

聖書箇所
出エジプト記7章8節~8章

説教
強権者ファラオと② 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/452 イエスの型破り⑤ 友(フィロス)

 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。                         ヨハネの福音書15章15節

 しもべ(ドゥロス)と友(フィロス)の間は大きな違いがあります。イエスは、友である弟子たちには父(神)のみこころを全て話したから、というのです。この弟子たちの(直接)証言集が新約聖書です。ルカとパウロは、イエスの十字架の後で途中から弟子になり、執筆に加わり、神の霊感を受けて、ルカは、ルカの福音書と使徒の働きを、パウロはローマ人への手紙から始まる大部分の手紙を書きとめました。
「わたしはあなたがたを友と呼びました」とのイエスの言葉は、信じた私たちにも適用されるというのが私たちの信仰です。イエスが説いた終末の出来ごとまでも開示されているからです。過去(預言)を知り、未来(終末)を知って現在を歩く者たちです。今週も地に足の着いた一歩を進めましょう。

2022年8月6日土曜日

2022年08月07日 第1主日礼拝 第一礼拝:パウロに見る成熟の姿/第二礼拝:私を呼べ、そうすれば あなたに答える

招詞
 夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。私は平安のうちに言った。「私は決して揺るがされない」と。主よ あなたはご恩寵のうちに私を私の山に堅く立たせてくださいました。
                                   詩篇30篇5~7節

聖書箇所
第一礼拝:ピレモンへの手紙10~13節
第二礼拝:エレミヤ書29章13節、33章3節

説教
第一礼拝:パウロに見る成熟の姿 佐々木弘司牧師
第二礼拝:私を呼べ、そうすれば あなたに答える ハム・ジャームス宣教師

言(こと)ローグ/451 イエスの型破り④ 5千人の食事

 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」彼らは言った。「私たちには五つのパンと二匹の魚しかありません。      ルカの福音書9章3節

 5千人(男子だけで)もの人々に給食の奇蹟を行い、人々がみな満腹した出来事ですが、「あなたがただけで」がチャレンジのことばでした。
信仰の人ジョージ・ミュラーの孤児院経営の草創期(1835-1842)の苦悩と試練を思い起こさせます。一回だけでなく、7年間も孤児たちに今日食べさせる食べ物もお金も無い、状態が続き、すべてぎりぎりのところで必要が与えられていきました。ジョージもまた、「イエスはどなたか」を日々確認させられた信仰の先輩です。イエスをメシアと信じ、彼の力を信じる信仰の人でした。
4つの福音書のすべてに収録されたこのエピソードは、私たちの信仰と行いの原動力が「イエスはメシア」であること、と告白させます。   (銘形:「イエスの破天荒な言動」より一部引用)