2016年2月14日日曜日

2016年02月14日 第2主日礼拝 イエスの弟子道1

招詞
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。                                                  ヨハネの福音書15章8~9節                    
聖書箇所
ルカの福音書 9章46~62節

説教
イエスの弟子道1 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ46/弟子 マセーテース
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。」(ヨハネ8:31)
 「弟子」とは何でしょう。弟子と密接に関係する言葉に、御霊、従う、とどまる、愛があります。これらとの関係で「弟子」を見るならその意味がよくわかるでしょう。
 弟子(マセーテース)の原義は、「学ぶ者」という意味です。しかし、新約聖書には261回も使われていて、独自の用法をみることができます。12弟子、70人の弟子を含む大勢の弟子がいて、イエスの行くところどこにでもついていきました。しかし、「わたしを信じる者は、永遠のいのちを持つ」という教えをしたとき、弟子たちはつまづき離れて行きました(ヨハネ 6:60~66)。イエスのことばや教えに共感し、心酔するだけで、イエスの「いのち」に触れることのない人たちは去って行きました。イエスの弟子は、「御霊」によって主の「いのち」に触れ、それゆえにイエスに従い、とどまり、その結果「愛の実」を結ぶ者でした。私たちは、イエスの弟子として彼のいのちに触れて従っているでしょうか。        (米川明彦 新約聖書のキー ワードより引用)