2018年11月4日日曜日

2018年11月04日 第1主日礼拝 主にあって強く①

招詞
私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。                            詩篇90篇17節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章10節

説教
主にあって強く① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/259 弱さと謙遜 ① 

 「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」          コリント人への手紙12:9b~10

 イエスさまの降誕を感謝し、お祝いする降誕節(12/2~23)が近づきました。イエスさまが見せてくださった事として、弱さと謙遜について考えましょう。
 私たちと神との親しいかかわりを破壊してしまうのは高ぶりです。その高ぶりから私たちを守るものは、謙遜です。神は、私たちを高ぶりの罪から守っていてくださっていますが、これは祝福であり憐みです。
 パウロは、「自分の肉体の一つのとげ」を通して謙遜になれた、と述べています。上記のパウロの言葉は、神さまに「三度の嘆願」をしても癒されなかった後の告白です。ペテロの場合には、正統派ユダヤ人意識が謙遜を妨げました。食べものに関して、イエスさまとの「三度のやりとり」を通らなければなりませんでした。ペテロの場合のこのやりとりは、実は「異邦人を受け入れなさい」、という神の導きだったのです。そのためにペテロは不思議な経験をさせられます。このために、使徒の働き10~11章が割かれています。
 私たちに対する「神からの謙遜への招き」にも神さまとの関わりのストーリーがあるようです。次回、詳しく見ていきましょう。           (銘形:「謙遜への招き」を一部引用)