招詞
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びが、あなたの御前にあり、楽しみがあなたの右にとこしえにあります。 詩篇16篇11節
聖書箇所
万軍の主はこう言われる。「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。やもめ、みなしご、寄留者(在留異国人)、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で、悪を企むな。」
ゼカリヤ書7章9~10節
ゼカリヤは、バビロン捕囚の末期、ペルシャ王ダリヨスの時代の預言者です。年二回、行っていた断食は、自分たちの利益を願う心のこもっていない形式的なものだったと語り、民と指導者を断罪します。イエスさま以来、教会の時代の今、断食は、「ねばならぬ行為」ではありません。聖書をよく理解し、変えられて正しい裁きと弱者救済の心を養い、神を愛し、隣人を愛しなさい、という神の御心を行うことこそが救われた者の「ねばならぬ」ことです。
イエスさまも、マタイの福音書 23:23で律法学者たちを厳しく裁いています。
「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、ミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。」
(銘形「ザカリヤ書の瞑想」より一部引用)