2024年4月14日日曜日

2024年04月14日 第2主日礼拝 見ないで信じる人たちは 幸いです

招詞
 全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。
                                  詩篇100篇1~3 節

聖書箇所
ヨハネの福音書20章19節~20

説教
見ないで信じる人たちは幸いです 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/537 77篇の四つの瞑想語 ①ザーハル

 私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。 苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。  詩篇77篇1b~3節

 詩篇77篇には、四つの瞑想語(meditation)があります。ヘブル語で、①ザーハル、②スィーアッハ、③ハーガー、そして④ハーシャヴです。瞑想語とは「深く思索することば」の意味です。 ① ザーハルは、昔のことを一つひとつ思い出すという意味で、上記3節に使われています。記憶をたどりながら、心に呼び起こす行為です。新共同訳では、「思い続ける」、文語訳は「思い出流る」と訳されていいます。 一節には、神さまに声をあげて叫ぶと神は必ず聞いてくださるという確信が歌われますが、人生の苦難の日には、夜昼祈り求めても手ごたえが感じられずに、自分の霊は衰えしぼむ経験を歌っています。ザーハルは、「神の良くしてくださったことを数えよ、何一つ忘れるな」(103篇2節)という信仰体験を思い起こし、自分を元気づけようとすることばです。 苦難の嵐に会うと、神さまは自分を忘れたのではないか、祈り続けても無駄ではないか、などとぼやきたくなります。それは、不信の罪です。まず、身に起きた事実を見ましょう。自分は、イエスさまを信じて、永遠の死を逃れて救いを得ました。さらに永遠のいのちをいただいています。だから今を生きるための力を心と身に帯びています。生ける望みを与えていただいて今日も前に進むことができます。 次回は、②スィーアッハです。      (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)