招詞
まことに、あなたの大庭にいる一日は、千日にまさります。・・・まことに、かみである主は太陽。また盾。 主は恵みと施光を与え、誠実に歩む者に、良いものを拒まれません。
詩篇84篇10a、11節
主イエスご自身が、「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われたみことばを覚えているべき・・・ 使徒の働き20章35節
ジョン・ニュートン(1725-1807)は次のように言いました。「もし帰宅の途中、半ペニー(40円)を落とした子がいて、私が弁償してあげることでその子の涙を拭えたのなら、私は自分が何かを成したと思います。もっと大きなことをして喜ぶことも重要でしょうが、このことも軽んじはしません。」
多くの人が悩んでいます。生活に疲れている人、災害や戦争で故郷を奪われた人、先の見えないシングルマザー、人に迷惑をかけることを恐れている老人などなど…。
私たちに何ができるでしょう。ダビデは「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は」(詩41:1)と書きました。私たちは貧困を解消できないかもしれませんが、困っている人に心を寄せることはできるはずです。
彼らはイライラしていたり、不遜な態度を取ったりするかもしれませんが、こちらは礼儀を持って接し、「あなたのことを気にかけています」と知らせることができます。彼らの話に耳を傾けたり、彼らのために祈ったり、共に祈ることもできます。祈りほど助けになり、癒しにつながる行為はありません。
イエスが教えられた逆説、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)を思い出してください。イエスは、あなたの周りに、あなたが犠牲を払って心を配るべき誰かを置いておられます。 (David・ローパー 「心を配る」から一部引用)