招詞
私にとって、神のみそばにいることが、幸せです。私は、神である主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げます。 詩篇73篇28節
悲しむ者は幸いです、その人たちは慰められるからです。 マタイの福音書5章4節
アイザック・ワッツの讃美歌142番(新聖歌117) 『施えの主イエスの』の歌詞に、「世の富、誉れは塵(ちり)にぞ等しき」という逆説的表現があります。これはオクシモロン(矛盾語法)という修辞技法で「恐ろしく美しい」とか「公然の秘密」のように、矛盾する単語で他方を修飾するものです。ワッツは、この技巧を用いて深い真理を表現しました。
イエスもまた、しばしば逆説を用いられました。「心の貧しい人々は、幸いである」(マタイ5:3)と言われ、望みのない人が、望み得る以上のものを受けることを示唆されました。私たちが大切な人を失って悲しんでいる時、イエスは「慰められる」(5:4)と言われます。イエスは、神の国が人の世の一般的な規範に必ずしも一致しないことを示されました。
これらの逆説は、キリスト者にとって全ての当たり前は覆ると教えています。取るに足らない私たちが、地位のある人のように神に大切にされます。イエスは茨(いばら)の冠をかぶせられ十字架につけられましたが、これも視覚的な逆説です。私たちは、心を震わせて、最後の一節を胸に刻みます。「ああ 主の恵みにむくゆるすべなし、ただ身と霊(たま)とを献げてぬかすぐ」と。
(K.ピーターソン 「逆説」から一部引用)