招詞
ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。
詩篇113篇1~3節
聖書箇所
マルコの福音書5章25~34節
説教
私たちを救うキリストの聖さ 菅孝雄神学生
言(こと)ローグ/607 よこしまな者(ベリアル)
見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた。 ナホム書1章15節
アッシリア帝国はかつて神の杖として、神の民(イスラエル北王国)を矯正するための道具として用いられました(BC722)が、自分の本分を越えて神に逆らったために、100年後には、新バビロニアとメディアに滅ぼされます(BC612)。この期間、南王国ユダはつかの間の平和を与えられたのでした。
ナホム書では、よこしまな者(ベリアル)が1章11節と15節に2回使われています。単数形ですから、アッシリア王の名前センナケリブです。終末論的視点から見るならば、「べリアル」は確実に滅びる運命にあります。神はご自身の民であるイスラエルを立ち返らせるために、反キリストを用いられますが、最後にはこの反キリストおよび、その手下である偽預言者を滅ぼして、「硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込」みます(黙示録19:20)。今の世界を見ると、よこしまな指導者は各地に存在します。マスコミやネットに左右されず聖書の観点から時代を見る目を養う必要がありますね。
このように、ナホム書1章は、そのまま「終わりの日」における出来事の予型となっています。それゆえこの章は、主に身を避ける私たちにとっては力強い希望と慰めを与える予型の書と言えるのです。 (銘形「ベリアル」から一部引用)