招詞
私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。私の心の思いが神のみこころにかないますように。 詩篇104篇33~34節
聖書箇所
私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。私の心の思いが神のみこころにかないますように。 詩篇104篇33~34節
ルカの福音書24章13~35章
説教
理解の型紙 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/285 (目が)さえぎられて(クラテオー)
「彼らの目がさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」
ルカの福音書24章16節
エマオ途上の二人の弟子たちのエピソードです。古くからの疑問は、この2人の弟子たちは、なぜ見慣れていたはずのイエスさまを見分けれなかったか、ということです。西に向かって歩いていたので、西日がまぶしかったから、という意見があります。でも、そうでしょうか?
ルカはここで明らかに、風貌の面だけではなく、より深い次元で語っているように思えます。「(目が)さえぎられて」と訳されているギリシャ語は「クラテオー」で「ある力によつて支配され」、その状態がずっと継続していることを意味する動詞の「未完了形」が用いられています。つまり、神の敵であるサタンの霊的な力によって支配されている状態(保持)を意味します。それゆえ、二人の弟子は「イエスだと分からなかった」とルカは解釈しています。
そのことを、使徒パウロは、「この世の(偶像)神が不信者の思いをくらませる覆いをかけて、福音の光を輝かせないようにしている状態」と言いました。(コリント第二4:3~4)。私たちはイエスさまに目を向ける時にだけ、サタンの惑わしに勝つことができます。イエスさまに目を向けて歩みましょ (銘形「ルカの福音書解説」より)