2026年3月29日日曜日

2026年03月29日 第5主日礼拝 最後に救われた男

招詞
 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはと   こしえまで。主に身を避けることは、人に信頼するよりも良い。                    詩篇118篇1、8節

聖書箇所
ルカの福音書23章26~43節

説教
最後に救われた男 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/636  最後の1週間 ⑦ 三つの出来事

 イエスが十字架において確実に死んだことを表わす表現として、ヨハネの福音書だけは、その死の確実性を表わすために、十字架につけられた二人の者は死を早めるために、「すねを折った」(19:31-32)のですが、イエスの場合には、「すでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった」(19:33)と記し、「イエスのわき腹を槍で突き刺した。すると血と水が出てきた」(19:34)と、ヨハネは証言しています。  

 イエスの確実な死によって三つの出来事が記されています。  

 その一つ目は、「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた (マタイ 27:51、 マルコ 15:38)」ことです。これは何を意味する出来事でしょうか。これはイエスの死によってもたらされた 「天的現実の地的な現われ」と言えます 。
 二つ目は、墓が開いて眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返ったことでした(マタイ 27:52)。  神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたことが、「天的現実の地的な現われ」だとすれば、墓が開いて眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返ったことは、「地下的現実の地的な現われ」ということができます。  
 三つめは、百人隊長の目が開かれ、「イエスが神の子である」と告白したこと (マタイ 27:54、 マルコ 15:39、ルカ 23:47)で、これはやがて異邦人にもイエスが神の子であることに霊的な目が開かれて行くことを象徴する出来事でした。                     (銘形 「イエスの死」より一部引用) 

2026年3月22日日曜日

2026年03月22日 第4主日礼拝 イエスの打ち傷のゆえに

招詞
 すべての国々よ、主をほめたたえよ。すべての民よ、主をほめ歌え。主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで。ハレルヤ。              詩篇117篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書27章26~32節
イザヤ書53章1~8節

説教
イエスの打ち傷のゆえに 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/635 最後の1週間 ⑥イエスの女弟子たち

 彼(アリマタヤのヨセフ)は、からだを降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られていない、岩に掘った墓に納めた。・・・・・イエスとともにガリラヤから来ていた女たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスのからだが納められる様子を見届けた。それから、戻って香料と香油を用意した。                       ルカの福音書 23章53,55~56節

 イエスが十字架から引き降ろされ、墓に納められる様子をしっかりと見届けた勇気ある女性たちがいました。十字架刑に処された罪人は埋葬されず、死体は野に晒されます。この段階では誰も、この墓から三日目にイエスが蘇って出て行くとは知りません。しかし、彼女たちも、イエスの弟子としてできる最後の証として、安息日前の一時間あまり、心を込めてイエスを墓に葬ることができました。
 三日目の朝、彼女たちは、本格的な葬りの準備をするために、またお別れのために墓に出向いたのでした。ここまで間違いだらけの行動のように思いますか? しかし、空になった墓のそばで、天使のみ告げによってイエスの復活を最初に信じたのは彼女たちでした。信仰と勇気と行動力、彼女たちの存在が、やがて誕生する教会を下から支える力となっていったのではないでしょうか。人の目にふれないところでも、イエスに対する弟子としてのあかしを立てようとする志はすばらしいと思います。いつでも、どこでも、自分がひとりのキリスト者であるという自覚をもって真実に生きることが求められていると思います。      (銘形 「イエス墓に葬られる」より一部引用)

2026年3月15日日曜日

2026年03月15日 第3主日礼拝 総督ピラトとイエス

招詞
 私は主を愛している。主は私の声、私の願いを聞いてくださる。 主が私に耳を傾けてくださるので、私は生きているかぎり主を呼び求める。               詩篇116篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書18章28~40節

説教
総督ピラトとイエス 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/634 最後の1週間 ⑤ ヘロデ・アンテパスの尋問

 それを聞いたピラトは、この人(イエス)はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあるとわかると、イエスをヘロデのところに送った。ヘロデもそのころ、エルサレムにいたのである。ヘロデはイエスを見ると、非常に喜んだ。イエスのことを聞いていて、ずっと前からイエスに会いたいと思い、またイエスの行なうしるしを何か見たいと望んでいたからである。 
                               ルカの福音書 23章6~8節

 ガリラヤとペレヤ地方はヘロデ大王の二番目の息子アンテパスに与えられていましたが、過ぎ越しの祭りでエルサレムに来ていました。ピラトに託されてイエスを尋問しようとしているヘロデとは、このアンテパスのことです。このヘロデ・アンテパスは、かつて弟のピリポの妻ヘロデヤと密通し、バプテスマのヨハネから、公然と「あなたが(ヘロデヤを)めとるのは律法違反=姦淫です」と言われたことで、ヨハネを投獄しました。ヘロデは悪妻ヘロデアとその娘の奸計で獄中でヨハネを殺しました。
 さて、好奇心ゆえにいろいろと質問するヘロデに対して、イエスは一言も答えられませんでした。このイエスの毅然とした沈黙に、ヘロデは怒りを覚え、イエスを「侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した」のです(23:11)。反省なしに罪を重ね、ここでは場を読まず、しゃべり続けるヘロデに対してイエスさまは沈黙で対処なさるほかありませんでした。                         (銘形「ヘロデの尋問」より一部引用)

2026年3月8日日曜日

2026年03月08日 3・11祈念礼拝 ペテロ(岩)と呼ばれた男

招詞
 私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に、栄光を帰してください。あなたの恵みとまことのゆえに。                       詩篇115篇1節

聖書箇所
マタイの福音書26章31~35節

説教
ペテロ(岩)と呼ばれた男 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/633 最後の1週間 ④ 軽蔑と侮辱に耐えて

 (兵士たちは)、イエスが来ていた物を脱がせて、緋色のマント(上着)を着せた。 それから、いばらで冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王さま。万歳。」 と言って、からかった。またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたいた。                     マタイの福音書 27章28~30節

 イエス様はユダヤ人からもローマの兵士からも、身体的・肉体的な痛みだけでなく、精神
的なありとあらゆる屈辱を受けました。屈辱ー軽蔑、嘲笑、嘲弄、嘲り、罵り、揶揄( や
ゆ)、侮り、中傷、批判、非難、嫉み、憎悪、冷笑、唾をかけられる、陰謀、偽証、裏切り
― これらすべてがイエスに注がれたのです。
 私たちはこれらのひとつでも他人から仕向けられるなら、おそらく、けんか腰になるか、落ち込んでしまうことになるのではないかと思います。私たちは、しかし、イエス様を信じて救われるまで、イエス様のこの苦しみに気づきませんでした。
 すべて、私たちの罪と咎を赦し、サタンの鎖から救うためにイエス様が耐えられたことを知ったのです。イエス様が飲まなければならなかったこの苦杯(くはい)を思い起こして心から感謝しましょう。                    (銘形「ローマ兵たちの侮辱」より一部引用)

2026年3月2日月曜日

2026年03月01日 第1主日礼拝 ゲッセマネの祈り

招詞
 ハレルヤ。主のしもべたちよ、ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえまで、主の御名がほめられるように。日の昇るところから沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。                                 詩篇113篇1~3節

聖書箇所
マルコの福音書14章32~42節

説教
ゲッセマネの祈り 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/632 最後の一週間 ③ハレル(ヤ)詩篇

 そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。
                              マタイの福音書 26章30節

 詩篇113~118篇までの六篇は「ハレル詩篇」と呼ばれ、過ぎ越しの祭りを含むユダヤ人の三大祭りの時に歌われてきた詩篇です。例えば、過越の祭りには、その食事の前に113篇と114篇が歌われ、食後に115篇から118篇までが歌われます。上記の賛美の歌とは詩篇115~118篇の朗誦です。「彼らは」とあるのは、イエスさまと弟子たちが一緒に歌ったのです。
 ハレル詩篇の概要は、113 神のへりくだり、114 贖いの力、115 神対偶像、116 聖徒の死、117異邦人の賛美、118メシヤの凱旋の様です。
 詩篇118:22-23は、「家を建てる者たちの捨てた石、それが要(礎)の石になった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。」です。イエス様がエルサレムに入って、ユダヤ人の宗教指導者らと議論された時、この言葉が成就すると言われました。ユダヤ人指導者らがこれからメシヤを殺すたとえを、ぶどう園の農夫を使って話された後に、この詩篇118篇の箇所を引用されました。神の家を建て上げるはずの宗教指導者らが、かえってイエス様を捨ててしまった。けれども、そのイエス様がメシヤであった、という預言です。教会の礎の石となられたイエス様を主と信じて救われた私たちは幸いですね。            (ロゴス「ハレル詩篇」より一部引用)