2020年3月21日土曜日

2020年03月22日 第4主日礼拝 洗足ー弟子たちの足を洗うイエス

招詞
人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。しかし、【主】の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れるものの上にある。                         詩篇103篇15~17節

聖書箇所
ヨハネの福音書13章1~17節

説教
洗足ー弟子たちの足を洗うイエス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/328 謙遜 (タペイノフロスネー)

 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。             コロサイ人への手紙3章12節

 新約聖書では、謙遜(タペイノフロスネー)という言葉は、動詞、形容詞、名詞を合わせると21回も使われている重要語です。
しかし、意外なことに、アリストテレスなどの古代ギリシャ時代も、イエスの時代のコイネーギリシャ語でもこの言葉、タペイノフロスネーは、否定的なことばでした。
 土地に対して使われる時は、低地でじめじめした日あたりの悪い価値の低い地所をさしました。人に対して使われるときはもっとひどく、あの人はタペイノフロスネーだというと、信頼できない、能力に欠ける人、パッとしない人、という使われ方をしていました。

  しかし、聖書では動詞形、名詞計など計21回、すべてプラスの使い方です。これがクリスチャンが結んでいく徳性、聖霊の実だと言っています。
このことが原因でしょう、仏、スペイン語、英語(humility)などラテン語諸言語のどれも謙遜はポジテブな良い言葉です。つまり、聖書がこの言葉の価値を上げたと言えます。

 アフリカで生まれ育ち、牧師、宣教師、講演者として名高いアンドリュー・マーレー(1828-1917)は著書「謙遜」の中で、「謙遜を欠いているのに、熱心で活動的なクリスチャンがなんとおおいことでしょう」と警告を発しています(邦訳42頁)。イエスさまの心に届く愛は、謙遜な歩みをしているクリスチャンに見られるとも語っています。