2020年9月19日土曜日

2020年09月20日 第3主日礼拝 苦しみと希望

招詞
 私は心を尽くしてあなたに乞い求めます。みことばのとおりに私をあわれんでください。私は自分の道を顧みてあなたのさとしの方へ足の向きを変えました。    詩篇119篇58~59節
  
聖書箇所
エゼキエル書20章49節~21章32節

説教
苦しみと希望 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/354 天の御国 

 この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。
                                マタイの福音書4章17節

 イエスの公生涯はマタイ4章12節から始まっています。マタイは他の福音書のように「神の王的支配」(神の国)という表現を使わず、「天の御国」という表現を使っています。これは「神」という表現を「天」と言い換えたヘブル的伝統によるものです。ヘブル語の「マルフート・ハッシャーマイム」をそのままギリシア語で「天の御国」と訳しています。これは、マタイ独自の表現です。それはマタイの福音書が、その完成のプロセス(例えば草稿の段階)でヘブル語で書かれたものであることを表わしています。
 さて、神が王としてイスラエルの民を治めるために、王である神がこの地において統治するためには、以下の三つの要素が不可欠でした。
(1)王の民の存在 それはクリアしました。エジプトで奴隷となって苦し んでいたイスラエルの人々を神は救い出して合意の元で神の民となることを約束したのですから。
(2)領土、やがてヨシュアを通して与えられます。
(3)神の定めた律法の賦与 この律法は王の法であり、王の憲章です。こ れがなければイスラエルの民は烏合の衆でしかありません。
 しかし、残念ながら、預言者サムエルの時、イスラエルの民は他の国々と同じ世俗の王を望みました。 従って、長い間の曲折を経て、イエスにおいて、やっと真の神の国の民が招集されたことになりました。                   (銘形「天の御国の王イエス」から引用)