招詩
私の口は あなたの誉れを告げ知らせます。まことに私が供えても あなたはいけにえを喜ばれず 全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ砕かれた心。
詩篇51篇15~17節
聖書箇所
言(こと)ローグ/353 イエスの「ハプトー(さわる)」ミニスト
イエスがある町におられたとき、見よ、全身ツァラアトに冒された人がいた。その人はイエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります。」イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた。 ルカの福音書5章12~13節
「さわる」と訳されたギリシャ語は「ハプトー」で、新約では39回使われています。多くは、人がイエスに触る場合ですが、そこには人々の切迫感があります。イエスによりすがり、しがみつこうとする姿があります。一方のイエスのさわりは、人に対する憐みが込められています。人格的なかかわりがあります。十把一絡げに「タッチ!」と叫んで癒すやり方とは違います。一人一人に対して憐みをもって手で触れているのです。「ハプトー」は、旧約では、ヘブル語の「ナーガ」に相当します。どちらも、神と人との双方に強い親近感が存在しています。イエスはそのようなかかわりをもって、全身ツァラアトの人に対して「さわった」(アオリスト時制)のでした。つまり一回限りの行為でしたが、そのツァラアトはあとかたもなく、完全に消え去ったのです。彼は、不当にのけ者にされ、人格さえも否定されていた人でしたが、イエスに強い信頼をいだいていました。私たちもツァラアトの人の熱心さと切迫感をもってイエスにすがることができます。イエスは、あわれみと愛を込めてあなたの心に触れてくださいます。 (銘形「ルカの福音書を味わう」より引用)