招詞
み子は、人間としては、ダビデの子孫から生まれ、聖いみ霊によれば、死人の中からの復活により、み力によって神のみ子として宣言された方であって、私たちの主イエス・キリストにほかならない。 ローマ人への手紙1章3~4節(現代訳)
聖書箇所
ルカの福音書24章1節~46節
説教
イエスの復活と私たちの望み 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/381 目がさえぎられて(クラテオー)
イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。 しかし、二人の弟子の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。 ルカの福音書 24章15~16節
復活されたイエスがエマオ途上の2人の弟子に現われた時、どうしてイエスだと分からなかったのでしょう? 理由は、マルコの福音書16:12にあるように、イエスが「別の姿でご自分を現わされた」からでしょうか。興味深いことに、ヨハネの福音書では、復活のイエスは最初にマグダラのマリヤにご自身を現わされましたが、マリヤは復活されたイエスを実際に目にした時に「園の管理人」だと思ったとあります。しかしイエスが、マリヤに対して「マリヤ」と声をかけたその声で、マリヤはイエスだと分かったとあります(ヨハネ 20:14~16)。ルカが「目がさえぎられて(クラテオー)」とクラテオーを使ったのは、側近の弟子たちでさえもなお、サタンの霊的な力に縛られていた状態を訳し出した、と考えられます。それを打ち破ったのが「マリヤ!」というイエスの掛け声であり、カギがかかっていた弟子たちのいる部屋に、突然入ってこられた死からの勝利者イエスであったというわけです。弟子たちを安易に非難できません。イエスさまの言葉とみわざを完全に信じていないと、私たちも似たような目くらましに会うかもしれない、という霊的な警告と教訓があるように思います。 (銘形「ルカの福音書」より一部引用)