2022年2月5日土曜日

2022年02月06日 第1主日礼拝 ヨセフの使命③

招詞
 主に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに。まことに主は、渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。    詩篇107篇8~9節

聖書箇所
創世記41章1~46節

説教
ヨセフの使命③ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/425 み言葉を食べる(アーハル)

 私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べました。そうして、あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。         エレミヤ書15章16節

 紀元前7世紀にエルサレムはネブカドネザル王に攻め落とされ、バビロン捕囚が始まりました。神の救いのマスタープランから見れば、その目的が神の民に将来と希望を与える計画だと言えるのは、バビロンの地で主が神の民によって「見つけられる」「出会う」からです(エレミヤ29:14)。やがてそれほどに神の民は真剣に主を尋ね求めるようになるのです。ですから預言者エレミヤは、「わたしはあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました」と告白しているのです。新共同訳では、「あなたの御言葉が見出されたとき、わたしはそれをむさぼり食べました」と訳しています。
神と人とのかかわりは愛に対する歓喜です。それこそ「新しいぶどう酒」であり、それがいつの時代でも「新しい皮袋」を必要としていくのです。しかし、そうなる前には「古い皮袋」の存在があり、新しいブドウ酒と「古い皮袋」とのギャップに悩まされるのです。エレミヤも神のみことばによって預言者としての喜びを経験していました。彼がそれを経験できたのはひとえに「私はあなたの名をつけられていからです(同15:17)」とあるように、神に召されたからです。
私たちも、新しい皮袋をいただき、イエスの福音という新しいぶどう酒を頂いていますが、古い自我という皮袋とのギャップに悩まされることがありませんように。まして、それを取り出してそこに自己主張を貯めておくことがありませんように。最善の予防法は、み言葉をむさぼり食うことでしょう。               (銘形「ヘブル語のディリーブレッド」より一部引用)