招詞
主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりも良い。主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。 詩篇118篇9、16節
聖書箇所
創世記50章1節~26節
説教
神の計画と人の配慮 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/439 はじめに(バラシット)
はじめに神が天と地を創造された。 創世記1章1節
ヘブル語聖書の創世記は、バラシット(はじめに)と呼ばれます。聖書は、すべての事象には初めがあったことと、終わりもあることを告げています。
人は永遠への思いを神に与えられた(伝道者3:11)ので、すべての事の始まりを探ろうとします。無神論の探求者は、無機物から有機物が偶然できて、進化により人間にたどり着こうとしますが全く成功していません。聖書と神を信じる先人たちは、「なにゆえに神は、天と地を創造されたのか」を探求しました。その問いの答えこそ聖書全体を貫く本道です。その本道とは、神が「創造の冠」として人を造り、交わりを持つためです。天と地の創造はすべて神が人との永遠のかかわりをもつための舞台設定と言えます。「創造の冠」とは、人が神にとって他の被造物とは異なる特別な存在であるということです。創世記3章で初めて神に敵対するサタンの存在を知らされ、死と死の恐怖が人に入ったことで神と人の歴史は複雑になりました。そこから人類の救いのマスタープランが始まりました。ヨセフ物語で終わる創世記は、このマスタープランのプロローグ(序章)でした。それゆえ、神の、人に対する特別な関心とまなざしにしっかりと目を向けていきたいと思います。 (銘形「ヤコブの祝福の預言」より一部引用)