2022年6月19日日曜日

2022年06月19日 第3主日礼拝 80歳の召命 ①

招詞
 人とは何ものなのでしょう。 あなたが心に留められるとは人の子とはいったい何ものなのでしょう。 あなたが顧みてくださるとは。                      詩篇8篇4節

聖書箇所
出エジプト記3章1節~22節

説教
80歳の召命 ① 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/444 
神の自己宣言

 わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。 
                                 出エジプト記3章6節a

 モーセに明らかにされた神の名は二種類あって、一つは上記「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」でした。もう一つは「わたしはあるというものである」で、自己宣言文と言いますが、「わたしはあるというものである」だけではよく分からなかったのではないかと思います。しかし、いろいろな神経験をする中ではじめて知っていく名前となります。たとえば、「わたしは主、あなたをいやす者である。」(出15:26)、「わたしはあなたがたを聖別する主である」(出31:13)、「主はあわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者」(出34:6)と宣言されています。
イエス様も自己宣言文を使われていて、「いのちのパン」(6:35)、「世の光」(8:12)、「門」(10:9)、「よみがえりであり、いのち」(11:25)、「道であり、真理であり、いのち」(14:6)、などと自己宣言しておられますが、このように、一つのことばでは言い切れないためです。神の名前は、まことに、永遠性、超越性、不変性を持っていることが良くわかります。 
                              (銘形 出エジプト記から引用)