2022年11月12日土曜日

2022年11月13日 第2主日礼拝 ヨシュアとカリスマ

招詞
 私は、どんなにあなたの戒めを愛していることでしょう。主よ。あなたの愛によって、私を生かしてください。あなたのみ言葉は、すべて真理です。あなたの正しいみ教えは、永遠に続きます。 
                            詩篇 119篇159~160節(現代訳)

聖書箇所
ヨシュア記3章7~17

説教
ヨシュアとカリスマ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/465 「努力して」か「勇気を出して」か
 
 「努力して狭い門から入りなさい。」             ルカの福音書 13章24節

 これは、弟子たちの「主よ。救われる者は少ないのですか」という質問に応えたことばです。イエスさまが神の国をからし種とパン種にたとえて話された後のやりとりです。神の国ははじめては小さく、そして目立たないがやがては大きく拡大することを語りました。「狭き門」とは単に狭いということではなく、目立たない入り口という意味です。目立つことがない、そのためにだれも注目しない、だれからも見向きされない門、それが「狭き門」の意味です。そんな狭い門から入るのに「努力して」(新改訳)ということばが付け加えられています。
確かに、「努力して」と訳されたギリシャ語本文では「競争する」という動詞が使われていますが、イエスさまが実際に使ったヘブル語に訳し戻したヘブル語の新約聖書では、「アマーツ(勇気をもって)」ということばが使われています。「アマーツ」は励まし用語で、ヨシュア記1:6「強くあれ、雄々しくあれ」の雄々しくあれです。その背景には敵への「恐れ」があったので、「恐れてはならない」ということばが添えられています(ヨシュア1:9)。つまり、上記イエスのことばの背景にあるのはマイノリティ(少数派)に対する恐れです。そんな恐れに対してイエスは、必ず神の国は大きく膨れ上がることを語って、「雄々しく、勇気をもって狭い門から入りなさい」と人々に語られたのです。クリスチャンが「少数」であることを恐れてはならない、雄々しくあるようにと励ましているのです。イエスに従う道は、努力してではなく、勇気をだして入る道です。