2023年3月18日土曜日

2023年03月19日 第3主日礼拝 教会のチャレンジ ⑤ ~ 迫害者の回心

招詞
 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で、主をほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。主が命じて、それらは創造されたのだ。            詩篇148篇1、5節
 
聖書箇所
使徒の働き9章1節~31節

説教
教会のチャレンジ ⑤ ~ 迫害者の回心 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/483 引き渡される(パラデドーミ)
 イエスは、これらのことばをすべて語り終えると、弟子たちに言われた。「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」                       マタイの福音書26章1~2節

 「引き渡される」と訳された「パラディドーミ」は、「受難」を表すことばです。パラディドーミは、裏切る、捕らえる、手に渡される、売りわたすとも訳され、新約では119回も使われています。ところが、弟子たちはこのイエスのことばをまともに聞こうとはせず、理解しようともしませんでした。一方、ベタニヤのシモンの家におられた時、「ある女」がこのことを正しく理解して、イエスのために香油を注いで埋葬の備えをしたのです。
他のか所でも受難告知に対する弟子たちの反応は、以下のようです。
① 16:21 「そんなことがあってはなりません」 ② 17:21~23 「非常に悲しんだ」⇒イエスの期待した反応ではない。 ③ 20:18~19 無反応。 そして、上記、26:1~2では、悲しいことに「無関心」です。
弟子たちのこのような無関心、無反応は、今日の教会でも起こり得ます。聖書が1テサロニケ4:13~18で、教会の祝福の望みである携挙(携え上げ)について明確に語っているにもかかわらず、ある教会では明確に語っていないので、多くのクリスチャンが携挙を知りません。たとえ聞かされていたとしても、無視したり、無関心の人も多いのです。聖書のどの預言も預言者たちを通して神が語られたものです。いまだ実現していない預言が数多くあるのです。ですから、今日においても、聖書預言は、すべての神の民に対するテストだと言えます。イエスの弟子として預言を信じ、信仰のテストに合格して進みましょう。           (銘形:「パラデドーミ」から一部引用)