招詞
主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、浅はかな者を賢くする。主の戒めは真っ直ぐで、人の心を喜ばせ、主の仰せは清らかで、人の目を明るくする。
詩篇19篇7~8節
私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
コリント人への手紙第ニ 12章9節
パウロは、キリストの力が私たちをおおうと「強くなる」と言っています。自分が弱い存在であることに同意するとき、はじめてキリストの力が私を覆って、強くされるのです。これが「弱い時にこそ、私は強いのです」というパウロの宣言するところなのです。
但し、信仰の強さは聖書が勧めていることです。「アブラハムはおよそ百歳にもなって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。信仰が強くなることは神が喜ばれることです。」(ローマ 4:19)
しかし、パウロは教会の中では「信仰の弱い人を受け入れなさい」とも言っています(ローマ14:1)。また「力のある者は、力のない人たちの弱さを担うべきです。自分を喜ばせるべきではありません。」(ローマ15:1)とも言っています。
ここでの強い弱いは、互いにその存在を認め合うことによって、調和がもたらされるという考え方です。弱い人を受け入れ、進んで助ける人になりましょう。
(銘形「謙遜への招き」より一部引用)