招詞
主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 それらは、金よりも、多くの純金よりも慕わしく、蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。あなたのしもべも、それらにより戒めを受け、それを守れば、大きな報いがあります。
詩篇19篇9~11節
私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 コリント人への手紙第二12章9~10節
ここでいう「弱さ」とはいったいなんのことでしょうか。コリント第2 12章1節以下を読んでいきますと、パウロに対して啓示された事柄、<パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いた経験>が、あまりにもすばらしいことであったようです。そのために、神はパウロが高ぶることのないようにと肉体に一つのとげが与えられました。
パウロは、主にこのとげを取り除いてくださいと祈ったのです。そうすればもっと神様のために働けますから。どうぞ取り去ってくださいと三度も嘆願しましたが、神はそのとげを取り去って下さいませんでした。なんと、主の答えは意外でした。「わたしの恵みは弱さの中に完全に現される」という返答でした。つまり、弱さの中にこそ、主の恵みと御力はさらにまさって示されるというのです。パウロはそのことを受けとめたのです。パウロのように、弱さに現れる主の強さを経験させていただきましょう。 (銘形:「謙遜への招き」より一部引用)