2024年1月7日日曜日

2024年01月07日 第一主日礼拝 新年礼拝 シメオンの幸い

招詞
 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家の良いもの、あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。私たちの救いの神よ。あなたは恐るべきみわざで、義のうちに答えられます。あなたは、地のすべての果て、遠い大海の、信頼の的です。                                詩篇65篇4~5節

聖書箇所
ルカの福音書2章22節~35

説教
シメオンの幸い 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/523 主に(エト・アドナイ)

 私と私の家族とはあくまでも主に仕える。  ヨシュア記 24章15節(リビングバイブル)

 この聖句の大事な点は、単に私個人が「主に仕える」というだけでなく、15節にあるように、「私と私の家(家族)とは、主に仕える」という、家族ぐるみで、主体的・自覚的な信仰をもって、主を礼拝し、仕えるという告白です。しかし、言うは易し、行いは難しです。この取り組みがいかに大事業で、緊急な課題であるかを自覚しなければなりません。
申命記6章は、確認の言葉です。「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」(6:6~9)。ユダヤ人の子供たちは今でも、5歳からトーラー(モーセ五書)を学び、12歳ではトーラーの解釈である「ミシュナー」を学びます。しかも膨大な神のことばを記憶するように教育されるのです。ところで、冒頭のエト・アドナイのエトは、アルファベットの最初の文字(アーレフ)と最後の文字テットから成っています。初めから終わりまで、徹頭徹尾主に仕えるの「主に」を強調するのに相応しい前置詞だと思います。
                   (銘形「ヘブル語デーリーブレッド」から部分引用)