招詞
国々の民よ、私たちの神をほめたたえよ。神の誉れをたたえる声を響き渡らせよ。神は、私たちのたましいを、いのちのうちに保ち、私たちの足を揺るがされない。 詩篇66篇8、9節
あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。わたしはあなたがたに見出される。 エレミヤ書29章13~14節
預言者エレミヤが、イスラエルの王と王族、祭司、偽預言者、すべての民に語った言葉です。当時、偶像礼拝の罪にまみれ、彼らの霊性は地に落ちていました。エレミヤのような真の預言者、祭司たちは少数派でした。
13節と14節前半では、神の民が神を尋ね求めることによって神を「見出し」、しかも心を尽くして求めることで、主は「見出される」とあります。
神を「見出す」とはどういうことでしょう。それは神のみことばを通して、神を知り、神のみおしえ(みことば)を通してそのすばらしさを味わい、神の深い心に触れることを意味します。羊皮紙に書かれた聖書(モーセ五書=律法)が開かれて神のみこころを悟り、そのみこころがなされることを祈り求めるようになることです。
私たちにとっても、神との愛のかかわりが深められて、それを喜ぶこと・・。これらが「神を見出す」ことの意味です。 (銘形:ヘブル語のディリーブレッドより一部引用)