2024年7月12日金曜日

2024年07月14日 第2主日礼拝 塩味の効いたことば

招詞
 主のおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。主の戒めは真っ直ぐで、人の心を喜ばせ、主の仰せは清らかで、人の目を明るくする。
                                   詩篇19篇7~8節

聖書箇所
コロサイ人への手紙4章2節~6

説教
塩味の効いたことば 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/549 謙遜についての教え(2) 「律法からの自由」


 私は、本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。                             ローマ人への手紙7章24節

 使徒パウロは「謙遜の限りを尽くして・・主に仕えた(使徒20:19)」とエペソの長老たちに言いました。彼の前身はパリサイ派の律法学者でしたから、律法に照らすと以前の自分は失格者で、霊的に破産した者であることを認めたうえでの言葉でした。しかし、感謝すべきことに、あのダマスコ途上でイエス・キリストをメシアと信じた時(使徒9章)に、パウロの霊の目が開かれ、律法(=罪と死の原理)から解放され自由になったのでした。同時に、イエスを信じる福音には、人を変え、律法にはできないことを可能にする力があることを知ったのです。
 それ以来、パウロは、絶えず、主イエスさまにより頼んで、主との交わりの中に生きることをめざしました。そして、その過程で、ご聖霊が結ばせてくださる実が結ばれること悟り、ガラテヤ教会への手紙では、9つの実を紹介しています(ガラテヤ5:22~23)。
 イエスにより頼み、主との交わりの中に生きよという教えは、イエス様ご自身、ブドウの木の例えでわかり安く説明しています。
 「わたしにとどまりなさい。枝が・・・実を結ぶことができないのと同じように、あ
なたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」                ヨハネの福音書 15章4~5節(一部)
                          (銘形「謙遜への招き」より一部引用)