招詞
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに、私を義の道に導かれます。
詩篇23篇1~3節
私は、・・・ 謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました。
使徒の働き20章19節
これは、パウロが、エペソ教会の長老たちに語った惜別のことばです。
パウロはエペソの教会を三年余り、手塩にかけて建て上げるうえでかなり意識的に「謙遜の限りを尽くして」主に仕えたことが理解できます。しかしその背景には、「謙遜の限りを尽くして、神に仕え」た真のモデルがいます。それが主イエス・キリストです。パウロの生き方はまさに主イエス・キリストの従順に完全に倣うものであったと言えます。
キリストは、神の御姿であられるのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。 ピリピ人への手紙2章6~9節
この御子イエスの従順こそ、真の「謙遜」の姿です。パウロはこの謙遜を見倣うようにと勧めています。私たちはイエスさまから、以下のような、謙遜に歩む招きをいただいています。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。 マタイの福音書11章29節
(銘形「謙遜への招き」より一部引用)