2025年4月13日日曜日

2025年04月13日 第二主日礼拝 ゴルゴダへの道

招詞
 いと高き方の隠れ場に住む者、その人は、全能者の陰に宿る。 私は主に申し上げよう。「私の避け所、私の砦(とりで)、私が信頼する私の神」と。            詩篇91篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書27章31~44

説教
ゴルゴダへの道 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/587 隠れ弟子たちの勇気

 ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。                           マタイの福音書27章59~60節

 十字架の日、イエスが洞窟の墓に葬られたことは、例外中の例外でした。なぜなら、十字架につけられた者たちはそのまま放置されて埋められるか、あるいは燃やされるかのいずれかであったからです。イエスの亡骸はイエスの隠れ弟子であったアリマタヤのヨセフ(以下ヨセフ)とニコデモによって葬られたのです。実は彼らは最高議会の有力な議員でした。ヨセフは、勇気をもってピラトのところに行って、イエスのからだの引き渡しを願って、それが許可され、自分のために造っておいた新しい墓にイエスを納めました(マタイ27:60、マルコ15:46、ルカ23:53、ヨハネ19:42)。特に、ヨセフについては「彼自身もイエスの弟子になっていた」(マタイ27:57)と記しています。彼は「議員たちの計画や行動には同意していなかった」(ルカ23:51)反骨分子であり、「神の国を待ち望んでいた」(マルコ15:43、ルカ23:51)のです。ヨセフは、イエスの亡骸を包む亜麻布を準備し、ニコデモが没薬とアロエを混ぜた香料で埋葬しました。
 隠れ弟子たちが、勇気ある最善の信仰を表して後世の私たちに伝えたことには意味があります。政治や社会(職場)などが複雑に絡んだ事情のなかでも主イエスを証し、主のご栄光を表す方法は必ずあるということですね。           (銘形「十字架の最後の一週間」から一部引用)