招詞
御使いは女たちに言った。「あなたがた、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのはわかっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」 マタイの福音書28章5~6節
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人(非ユダヤ人)は知恵を追求します。しかし私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。 コリント人への手紙 第一 1章22~23a節
この手紙を書いたパウロ自身ぺニヤミン族出身ですが、イエスの時代は、イスラエル人の子孫は、ユダヤ部族が人口の大部分を占めていたので、自分もユダヤ人として紹介しています。
イエスは、弟子たちがしるしで確証を得る傾向ををご存知でしたから、復活の直後にしるしをみせました。「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられて。すると、イエスが来られ、彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」 こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。」 ヨハネの福音書 20章19~20節
イエスは、しるしを見て、復活を信じ、喜びに沸く弟子たちに、最大の大事を再確認することを忘れません。「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 そしてこう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。許さずに残すなら、それはそのまま残ります。」(21~23)
私たちは聖書を読み、そこから知恵を求め、イエスを、メシア、キリストと信じて救われました。この知恵の中には、弟子たちの信仰の追体験も含まれますから、聖書を読むときに、ご聖霊の働きで自分の罪を示されて涙を流し、イエスを信じて罪赦され、喜びながら、日々、天国の望みの中に生きています。