2025年7月20日日曜日

2025年07月20日 第三主日礼拝 約束された相続人 ②

招詞
 私は命の限り、主に歌い、 生きるかぎり、私の神をほめ歌います。私の心の思いが、みこころにかないますように。 私は、主を喜びます。             詩篇104篇33~34節

聖書箇所
ガラテヤ書3章26節~4章7節

説教
約束された相続人② 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/600 まったき道

 ああ、なんと幸いなことだろう、責められるところのない道を歩み、主の御教えに従って歩んでいる人たち。ああ、なんと幸いなことだろう、主の御教えを守り、心から主を求める人たち。
                               詩篇119篇1~2節 現代訳

 新改訳は、責められるところのない道を「まったき道」と訳していますが、誤解されやすい言葉になりました。「完全な道」を求め、修道院運動が流行しました。中世のカトリック教会は完全な道と一般信徒の道の2つに分けて、人々に選択させました。よりよい人生を歩みたければ修道院に入り、修道士や修道女になれ。そうでない人たちは霊的なことを修道士に託して教会(のちのローマバチカンの教皇)に従え、と。
 しかし、きれいごとですみませんでした。貧しい人たちは、食い扶持を減らすために修道院に子女を預けました。後にマルチン・ルターと結婚したカテリーナは貧乏貴族の娘でした。両親は、食い扶持を減らすことと、結婚無し&持参金の工面の必要無しと考え、16歳で彼女を修道院に入れましたが、本人の意志は無視されました。清貧を歌う修道院の中には、ワイン作りで成功し、世の富みを蓄えたケースもありました。ルターは、そのような聖俗を分かつ思考と生き方を聖書的ではないとして批判し、排除しました。1517年に始まったルターの宗教改革が進む中、カテリーナは、友人たちと修道院を出てそれぞれ結婚し、聖書の教えに従って救い主イエスさまを主と仰ぐ家庭を築いていきました。
 完全な道を求めることを人間力で進めようとした時に歪みがでました。イエス様を信じ、愛して、単純実直な道、裏表の無い歩き方をすれば良いのです。忠実な信仰者はただひたすらイエス様にのみより頼みます。そして、これは、全てのクリスチャンに求められる生き方です。 
                       (みことばの宅配便「まったき道」を一部引用)