招詞
まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。
詩篇96篇4~5節
聖書箇所
まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。
詩篇96篇4~5節
聖書箇所
ルカの福音書2章21~40節
説教
家族礼拝で 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/268 ラーアー(羊飼い)
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 詩篇23篇1篇
詩篇23篇は、ダビデの作です。珠玉(しゅぎょく)の詩篇といわれるほど、多くの人々が励まされ、いやされ、力づけられてきた歌です。
「ラーアー」は、「牧する人」で、羊を飼う人、羊の世話をする人といった意味になります。羊の習性を調べてみると、第一に、羊は臆病で脆弱(ぜいじゃく)です。群れをはぐれてしまった羊を捕まえようとすると、不安と恐怖心で逃げてばかりで捕まらないそうです。第二に、迷いやすい。目が悪いということもありますが、実際、羊は羊飼いに連れられて毎日行き来している道を自分では行きも帰りもできず、すぐ迷ってしまうそうです。こんな方向感覚の悪い動物は他にいません。そして第三は、とても頑固です。羊は従順な反面、頑固で、羊飼いに逆らって自分勝手に進んで行き、群れから離れて危険なところに行って自滅するという習性をもっています。ですから羊飼いが必要なのです。ダビデは少年時代羊飼いでしたから、羊の習性を熟知していました。そして、自分を含め、人間とは、羊飼いのような愛情深く、忍耐強い神さまの守りの中で成長していくしかないと歌います。
社会では肩書きや経験がものをいいますが、強そうに見える人も中身の霊的な事実を見ると、まさに羊の弱点を持っている者です。臆病で脆弱なくせに、はぐれて人の助けを拒むところがあります。迷いやすい者です。人生の方向感覚などというものは、手引書もなくかじ取りは実際難しいことです。私たちは良いこと、正しいことの方角から外れてしまい頑固になりやすい性質をみな持っています。謙遜な心で「主は、私の羊飼いのように人生を導く方だ」と告白できることは素敵で安心、安全なことですね。今年も、主(アドナイ)は、私の羊飼い(ラーイー)と告白していきましょう。 (銘形「ヘブル語ディリーブレッド」から一部引用)