2026年6月6日土曜日

2026年06月07日 第一主日礼拝 聖霊に満たされたステパノ

招詞
 私の目はあなたの救いとあなたの義のみことばを慕って絶え入るばかりです。あなたの恵みによってあなたのしもべを取り扱ってください。私にあなたのおきてを教えてください。
                              詩篇119篇123~124節

聖書箇所
使徒の働き7章55~60節

説教
聖霊に満たされたステパノ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/645 謙遜 ⑦ 謙遜の回復

 謙遜の限りを尽くして外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。 
                               コロサイ人への手紙4章5節

 したがって、私たちの贖いとは、堕罪によって失われた謙遜を回復すること、被造物の神に対する本来的なただ一つの真実な関係を回復すること以外の何ものでもありません。ですからイエスが来られた目的は、地上に謙遜を取り戻すため、私たちを謙遜にあずからせるため、それによって私たちを救うためです。天においてイエスはご自分を低くされて人間となられました。私たちがキリストの内に見ている謙遜が、天においてはキリストを保っていました。謙遜がキリストを天から下らせ、キリストが謙遜を天から下らせました。この地上で「ご自分を低くして、死に至るまで従順となられた」のです。キリストの謙遜が彼の死に
徳を与え、それゆえ私たちの贖いとなりました。
 いまやキリストの分け与える救いとはキリストご自身のいのちと死、キリストご自身のご性質と霊、キリストご自身の謙遜を転移させること以下のものではなく、それ以外のものでもありません。キリストご自身の謙遜はキリストの神に対する関係と彼の贖いのわざの、土台であり、根です。イエス・キリストが完全な謙遜の生涯によって、被造物としての人の運命を私たちの代わりに実現してくださいました。
 キリストの謙遜は私たちの救いです。キリストの救いは私たちの謙遜です。 
            (アンドリュー・マーレー「謙遜」より。次回は「⑧回復の刻印」です。)

2026年05月31日 第五主日礼拝 弱者とご聖霊

招詞
 私は、二心のある人たちを憎み、あなたのみおしえを愛します。 あなたは私の隠れ場、私の盾。私はあなたのみことばを待ち望みます。             詩篇119篇113~114節

聖書箇所
使徒の働き6章1~7節

説教
弱者とご聖霊 田口勇新牧師


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言(こと)ローグ/644 謙遜 ⑥謙遜というこころの場所

 みな互いに謙遜を身に着けなさい。                ペテロの手紙第一 5章5節

 神が御力によってひとたび創造したことが真実であるのと同じように、神は瞬間ごとに同じ御力によって被造物を保っておられることも真実です。被造物は存在の起源とはじまりに立ち返らなければならないだけでなく、その起源においていっさいを神をよりどころとしてい
ることを認めなければなりません。すなわち、被造物の主要な関心、その最も崇高な徳、その唯一の幸福は、今から永遠にわたって、それ自身を空の器として捧げることです。神がそのなかに住まい、御力と良きご性質をあらわすことができるからです。
 人の弱点・欠点は、謙遜の欠如に由来します。どんな人でも他者を自分を比べてしまい自分を卑下したり、逆に高ぶりの誘惑が沸き出てきます。悲しい性質です。しかし、神は、創造以来、謙遜なこころの場所を造ってくださっています。神にまったくより頼む謙遜というこ
の場所は、被造物の本来的な性質に由来します。このことを神に感謝し、それと同時に、主のみ力によりこのこころの場所を誘惑から意識的に守りましょう。
 高ぶり、すなわち謙遜の欠如はあらゆる罪と悪の根です。あの堕落天使が不従順に陥って天の光から外の闇へと追放されたのは、独りよがりな自己賞賛を始めたときでした。
      (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「⑦失われた謙遜の回復」について)