招詞
幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。 詩篇119篇1~2節
聖書箇所
幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。 詩篇119篇1~2節
エゼキエル書2章1~3章3節
説教言(こと)ローグ/335 エゼキエルとエレミヤ
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇119篇105節
エレミヤ書がエルサレムの滅亡前に語られた40年間の神のことばの記録だとすれば、エゼキエル書はユダの民のバビロン捕囚の最中で語られた神のことばの記録です。エゼキエルは捕囚となった民の中から預言者として召され、神のみこころを伝えた人です。エゼキエル書は多くの幻による表現、および象徴的用語のゆえに困惑させられますが、年代順に整理されて書かれているので、その点はエレミヤ書よりもわかりやすいかもしれません。名前の意味は、エゼキエルが、「神によって力づけられた者(又は、神は強い)」で、エレミヤが「主は高められる」です。エレミヤが独身の預言者だったのに対して、エゼキエルは、妻帯者でした。どちらも、み民イスラエルにみことばを道を照らす光として教え導いた人たちです。以下、まとめた比較表です。
(銘形「エゼキエルのプロフィール」より引用)