2023年1月21日土曜日

2023年01月22日 第4主日礼拝 バビロンの礼拝の民

招詞
 私は知っています。主が苦しむ者の訴えを支持し、貧しい者のために、さばきを行われることを。まことに、正しい人はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。
                                詩篇140篇12~13節
 
聖書箇所
詩篇33章1節~5節


説教
バビロンの礼拝の民 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/475 会堂(シナゴーグ)

 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人の説得に努めていた。 シラスとテモテがマケドニヤ州やってくると、パウロはみ言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対して、メシアはイエスであると力強く証しした。
                       使徒の働き 18章1、4~5節 聖書協会共同訳

 コリントの町にシナゴーグがあったことについては,発掘によって出土した「(シナ)ゴーグのヘブラ(イ)人」と刻まれた銘によっても裏付けられています。
パウロは,コリント教会への手紙1:14~16の中で特に名指ししている三人,すなわちガイオ,クリスポ,ステパナに自ら洗礼を授けた後は,洗礼は弟子たちに委ねて,自身は専ら宣教に専念したようです。
さて、信じた者たちの礼拝と聖書教育・親交の場は、教会でしたが建物はありません。おそらく,彼らの自宅が「家の教会」として使われるようになっていったものと思われます。家の教会というのは,信徒たちの中の比較的裕福な人の家に、一定数の信徒たちが集まって行なわれた集会のことです。こうした家の教会が大都市と地方の町々に徐々に増えていきました。教会は信徒の集まりであり、建物ではありません。ローマ帝国が禁教を解く325年までは迫害下、家の教会が最も活発で有効な宣教の群れであり、福音の前進基地となっていきました。
                  (阿部包:私訳「コリント信徒への手紙」より一部引用)