2023年4月9日日曜日

2023年04月09日 第2主日礼拝 イースター・召天者記念礼拝 復活、私の希望

招詞
 幸いなことよ。悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。       詩篇1篇1~2節
 
聖書箇所
ヨハネの福音書21章1~19節

説教
復活、私の希望 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/486 「三つの必ず成る」 デイ
 ルカの福音書24章では三つのエピソードを通して、イエスの復活の必然性が記されています。三か所ともに、動詞デイ(必ず成る)が記されています。
第一のエピソード (1~12節)「人の子は必ず罪人の手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない」ことを思い出させました。そして女性たちはそのことを思い出したのでした。
第二のエピソード (13~35節) イエスは、エマオの途上にある二人の弟子に現われ、「キリストは、必ず、・・苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのか。」と問いかけ、その必然性を聖書全体の中で説き明かされました。
第三のエピソード (36~49節) イエスが11人の使徒、および弟子たちの真ん中に立たれて、「聖書に書かれていることは、必ず全部成就する」ということを述べただけでなく、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、イエスの復活によって弟子たちに託される使命について語っています。
十字架の死と復活の事実について、旧約聖書を通して啓示されてきたことが成就した必然的な出来事であることをイエスご自身が聖書を用いて説き明かされました。このことはとても重要なことです。なぜなら、イエスが復活された事実を弟子たちは自分の目で見たのですが、私たちは彼らの証言だけでなく、神の啓示の書である聖書によってその事実の必然性を悟る必要があるからです。三つのデイ(必ず)は私たちの救いのための必然でした。主イエスの愛にもう一度感謝しましょう。 
                         (銘形:ルカ24章の瞑想より一部引用)